『ムバラク以後に備えだしている』とイスラエル首相が会見。エジプトの新政権は遅かれ早かれ「平和条約の破棄に動くだろう」
エジプトの混乱と混沌の状況下、34人の政治犯が釈放された。全員がムバラクに反対した野党指導者であるという。
2月1日にはカイロとアレキサンドリアで、それぞれ百万を超えるデモが計画され、野党連合はムバラク大統領側が呼びかけた「対話」を拒否。ムバラクが権力の座を降りるまでデモを続けると宣言している。デモは日本時間で今夕(2月1日 1800頃から)である。
エジプト軍幹部は政治騒乱発生直後、おりからの米国訪問を切り上げ、急遽帰国したが、米国ペンタゴンと密接に連絡を取っている(アルジャジーラ、2月1日)。
エジプト陸軍は「民衆の反政府デモを抑圧しないし、政治的表現は自由である」と声明を出した。しかし、鉄道と飛行機は全面的に運休し、デモが予定されている学校は休校となった。集会が予定されている公園付近はブロック塀が設置されている。
▼邦人救出は遅れに遅れた
日本政府はエジプトにいる邦人救援のため、いそぎ救援機を飛ばしてカイロ空港で足止めされていた日本人旅行客全員をローマへ運んだ。三日間、かれらは飛行場で暮らした。
比較したいことがある。昨年のキルギス暴動のおり、中国はただちに救援機を二機、ビシュケクに近い新彊ウィグル自治区のウルムチ空港に待機させた。
そしてタイミングを読んですぐにキルギスの南部の都市オシへ救援機をじつに十二回往復させて、在留中国人千二百余人を救援した。
電光石火の作戦だった。その決断の早さと軍事作戦並みの手際の良さには舌を巻いたが、筆者がもっと驚いたのは五百人程度にみつもられていたキルギス南部の駐在中国人が、倍の千二百もいたという事実だ。
いったいかれらはあんな山奥の、ウズベキスタンとの国境で何をしていたのか訝しんだものだった。
▼イスラエルの動きから目が離せない
さてイスラエル。おりからエルサレムを訪問中だったメルケル独首相とベンヤミン・ネタニヤフ首相が会談後に記者会見し、「エジプトの騒擾の背後にはイランがいる」と言明した(1月31日)。「ムバラク以後のエジプトを怖れる」ともネタニヤフは言った。
また「三十年に及ぶイスラエルとエジプトの平和条約が、『ムバラク以後』もエジプトの新政権が遵守することを望む。三十年間、両国の関係は平和裡に保たれた。EU首脳ならびに米国の首脳とも電話会談で、ムバラク批判をひかえ、改革を拙速に要求するべきではないと伝言した」と表明した。
理由はムバラクの無秩序的退場は、より激しい混乱を招きかねず、ひいては中東の安定をそこねるからだ、とした。エジプト問題でイスラエル首相が発言したのは、これが初めてである。
ネタニヤフ首相は付け加えた。「エジプト最大野党の『ムスリム同胞団』はイスラエルとの平和共存を望まず、西側との同盟関係の維持にも賛意を示しておらず、イスラエルとの平和条約を破棄する方向へ動くだろう」。
イスラエルとエジプトが敵対関係にあった1970年代、イスラエルの国防費はGDPの23%をしめた。両国は平和共存の時代に移行してからイスラエルの国防費はGDPの9%となった。
エジプト国境に展開するイスラエル軍は、いまや僅か数百。その分をパレスチナならびにシリア支援のレバノンに蟠踞するヒズボラとの対峙に費やされている。バラク国防相は米国のゲーツ国防長官と電話会談を行ったが、詳細は公表されなかった。
▼オバマ大統領は『カーターの二の舞を踏むな』
イスラエルの有力紙『ハーレツ』は次のように書いた。「カーターの無能はイランを失った。こんど、政策を間違えるとオバマはレバノン、エジプト、トルコを失い中東の米国との同盟国との関係を深く毀損する、歴史上まれな(無能の)大統領と後世の歴史家は書くだろう」(1月31日付け)。
1979年、米国の同盟国だったイランを原理主義の集団が乗っ取り、アメリカ大使館が蹂躙された。拙速に民主化を要求したからだが、米国最大の中東の拠点が、真っ逆さまに反米政権の牙城となった。このカーターの二の舞になるな、と米国に警告するイスラエルである。しかし「歴史は繰り返される」。
杜父魚文庫
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