新聞記者は特ダネを追う”猟犬”の様に言われるが、何となく”過当競争の走狗”の響きがあって好きでない。権力者が秘匿する情報を追う気概は人後に落ちないないが特ダネと言うと安っぽくなる。
戦後保守政治の証人・辻トシ子さんのパーテイに次女と一緒に顔をだしたが、ぼんやりとそんな事を考えていた。辻さんとは半世紀を超えるお付き合いになるが、私が好きでない特ダネを何度か教えて頂いた。
岸内閣が倒れて池田内閣が誕生した日のことである。前年の1959年、初めて首相官邸詰めの政治記者になったばかりだったから、西も東も分からない。組閣参謀となる幹事長人事が焦点となった。首相官邸の玄関前に各社のテント村が立った。
この時の共同政局デスクは官邸長だった福田亮太氏。旧制の第一高等学校で全寮委員長だった口八丁手八丁の猛者だったから、なるべく近づかない様にしていた。すでに”Y”氏が幹事長候補として浮上していた。
テント村では「Y幹事長に内定」が一斉に流れた。福田官邸長は「まだ、まだ」と言ってOKサインを出さないので、共同は特ダネならぬ特オチになると回りはヤキモキするばかり。突然、官邸長が「益谷副総理の秘書官・辻トシ子のところに行け」と私に言った、「共同もY幹事長に踏み切る、といって辻さんの表情をみてこい」と理解し難い指示をした。
何のことやら分からないまま副総理室に行って辻さんに初めてお会いした。官邸長の言葉をオウム返しに伝えると辻さんは「ウフフ」と笑って「共同も誤報をするの・・・」
そのまま戻って官邸長に報告すると福田氏は仁王立ちとなって「共同は益谷幹事長でいく」と電話を取り上げて、本社政治部に伝えた。「こりゃー、特オチどころか大誤報だ」と報告した私の方が首をすくめて戸惑う。
組閣人事が終わったら官邸長は「辻さんのところに行って特ダネのお礼を言ってこい」。何のことやら分からないままにテント村と副総理室を伝書鳩のように往復しただけの話だから特ダネの実感はなかった。
印象に残ったのは辻さんの美貌と才気溢れる言葉のやりとり。「辻さんって何ものなのです」と福田氏にお伺いを立てたら「辻嘉六の愛娘だよ。お前は何も知らないな」と呆れ顔で言われてしまった。だから「辻嘉六って何者なのですか」と聞くことが憚られた。まあ駆け出しの政治記者なんてこんなものである。
”Y”氏は池田改造内閣で再浮上している。今度こそは”Y幹事長”に間違いないと各社は前夜から”Y”氏のところに集まった。福田氏は共同から電通に移籍していたが、気になったので辻さんのところに電話をいれたら、また「ウフフ」。「瞞されたと思って明日八時前に渋谷の前尾繁三郎さんのところに行ってみたら・・・」。
この頃には辻さんの信用も得ていたので、「辻大臣、益谷秘書官」という噂も承知している。「前尾幹事長なのかな?」と思ったが、幹事長人事は池田総理の胸の中だから、半信半疑で朝、前尾邸に行ったが、誰も来ていない。各社は共同を含めて”Y”氏の家に行っていた。
「さすがの辻さんも今度は外れたな」と思いながら、応接間で前尾氏を雑談をしていたら八時十五分、前尾邸の電話が鳴った。戻った前尾氏はボソッと「幹事長を引き受けることにしたよ」。「エッ」と驚く私。幹事長、総務会長、政調会長と副総裁の人事を聞いて、政治部に電話をいれたら酒井新二デスク(後の社長)が大声で整理本部に声掛けをする。
日ならずして酒井デスクと私は辻さんをお招きして昼食のご接待をして特ダネのお礼をしたのは後の話である。「ウフフ」の特ダネは、その後も何度か頂戴している。
政界情報は各社の夜討ち朝駆け取材によって、毎日、洪水のように種々雑多な情報が流れるが、その真偽の判断は難しい。辻さんは吉田自由党に始まり、池田内閣、佐藤内閣、田中内閣、宮沢内閣という保守政治の時代に政権の中枢近くにいたから、情報の確度が高かったのであろう。まさに戦後保守政治の女帝。
話は変わるが、辻嘉六のことは知られざる部分が多い。政界の黒幕に徹したために秘話は語らず、墓場に持っていった。東京・永福の築地本願寺和田堀廟所に墓があるが、墓碑銘の表書きは鳩山一郎の義兄で政友会総裁だった鈴木喜三郎、裏書きは鳩山一郎。典型的な井戸塀政治家で、亡くなった時には借財だけが残された。辻さんが貰った形見分けは一枚のペルシャ絨毯と紫檀の茶箪笥だけだったという。
宮沢元首相は「辻嘉六は親分肌で、人の世話ばかりして一生を終えた」と回顧していた。散ずる性格はこの父と娘に共通するものがあるが、口が固いことも似ている。戦後政治の隠れた裏面史を知る貴重な「証言」を辻さんが持っていることは間違いないと思うのだが、それを引き出すことは至難の技なのかもしれない。
杜父魚文庫
7166 辻トシ子さんの「ウフフ」 古沢襄
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