熱烈卵党であることは以前にも書いた。卵抜きの食生活は、私の場合考えられない。炊きたてのご飯に生卵、が最高の至福であることは生涯変わりないが、それがかなわぬ時でも毎日何らかの形で一個は食べている。
うどん屋に入れば卵とじ、すし屋でも何品目かに、
「卵切って」
と当然の成りゆきのように注文している。駅弁を開く。大抵卵焼きがある。さて、最初に食べるか最後に残しておくか、いつも迷う。結局は最初に、のほうが多い。
卵焼きほど奥の深いものはない。卵焼きのコンクールをやって日本一を決めればいいのに、といつも思うが、多分それは無理筋だろう。なぜなら、好みの味の個人差が相当大きい。審査員を決めるのが大変だ。
一杯呑み屋でも、おっ、と声をあげたくなるほど上手に焼いてくれる店がある。それだけで足が向く。甘からず、辛からず。卵らしさを残して……。卵談議を始めたら際限がない。
そんな卵党としては、自衛隊まで派遣することになった宮崎県の鳥インフルエンザのニュースは大変心が痛む。約四十一万羽の鶏を全部殺処分にするのだという。想像を絶する数ではないか。殺処分、何かほかの表現はないのかなあ。処刑みたいな響きがあって、卵を産み続けた、罪のない鶏がかわいそうではないか。その後、宮崎から全国規模に広がりそうな気配なのだ。
四十一万羽の悲報が伝わった一月二十四日は、卵をめぐってダブルショックがあった。鳥インフルともうひとつ、同日付の新聞朝刊に、
〈卵は決して高くない。〉
という表題の、一面全部をつぶした意見広告が載ったことだ。調べてみると、主要五紙に同文のものが掲載されている。広告料もトータルすると相当な額だろう。
私がショックだったのは、日ごろ卵の値段は格段に安く、感謝こそすれ文句などあるはずないのに、なぜ改めて〈高くない〉などとアピールしなければならないのか、という疑問だった。
さっそく広告主の一般社団法人・日本鶏卵生産者協会(東京都中央区)に電話を入れた。意見広告の狙いは何ですか。
「実は昨年末ごろから、新聞、テレビが繰り返し、『卵が高い』という批判キャンペーンをやったのです。社説で取り上げた新聞もありましたね。確かに年末、一キロ当たり二百四十円ぐらいに高騰しましたが、夏の猛暑などによる一時的な瞬間風速で、いまは落ち着いている。ですから、何らかの主張をすべきだということになって、素朴な訴えをさせてもらいました」
という担当者の話である。そうか、確かにそんな報道があった。しかし、ほとんど記憶に残らないほどだった。長年、恩恵に浴している卵党としては、値段の多少のアップダウンなど、取るに足らないことだ。ニュースにするまでもない。報道の側にいる者が、そんな鈍い物価感覚でいいのか、と叱られるだろうけど。
◇生で食せるありがたさ しかも経費削減に感謝
ところで、この意見広告には、卵事情がいろいろに盛り込まれていて、大変参考になった。まず、価格である。
〈昭和20年代よりも安いのです〉
とあって、折れ線グラフで示している。なるほど、平成二十二(二〇一〇)年の鶏卵卸売価格は、一キロ(十六個分)当たり百八十七円、一個十一円の勘定だが、昭和二十八(一九五三)年は二百二十四円、一個十四円、私が高校生のころだ。つまり、半世紀以上前にくらべ、値上げどころか下がっている。
〈「物価の優等生」と言われているとおり、鶏卵の価格は長期にわたって安価であり、少ない幅で安定していると言えます〉
と広告は自賛している。そうに違いない。いまは卵ですます食事代がいちばん安い。
なぜ、長期安価などという不思議な現象が起きうるのか。大規模経営が進んだ結果だという。信じられないような話だが、約四十年前、三百万戸だった鶏卵生産者の数が、いまではなんと三千戸に激減しているそうだ。千戸に一戸しか残っていない。長期安価の卵を私たちは気楽に食べているが、裏ではすさまじい生き残り競争が繰り広げられていたのだった。それでも経営の内情は非常に苦しいらしい。
〈飼料代などの生産経費の高騰に、安全のための費用も加わり、一方で価格は低いまま。コスト割れを起こして採算がとれていません。粗利益は十年前にくらべ、減少の一途をたどっているのです〉
と意見広告は訴えているのだ。熱烈卵党としては、それなら少しぐらい値上げしてもいいのでは、と思わず言ってしまいそうだが、マーケットが許さないのだろう。
優等生ぶりは価格だけではない。食料の国内自給率の引き上げがやかましく言われるなか、卵の自給率は、農水省食料需給表によると、二〇〇八年度が九六%、ほぼ完全自給だ。では四%は輸入なのか。
「はい。卵の生の形での輸入はありませんが、粉末にしたり凍らせたのがブラジルあたりから」
という担当者の答えだった。
さて、意見広告などチラリと見るだけで、丹念に読む人はほとんどいないだろうから、結語を次に全部写させていただく。卵党としては、感激の一文だった。
〈このような苦しい現実の中でも、我が国の鶏卵生産者は、独特の食文化である「卵の生食」を守るためにも、世界に誇れる安全・安心な国産鶏卵の、国際競争力をつけるため、ますますコストダウンに努めています。私たちの現状と思いを、どうかぜひご理解ください〉
泣かせるのは、〈生食〉という初めて目にする、辞書にも載っていない単語だ。
「ナマでみなさん召し上がる。ご飯にかけたり、すき焼きでも。日本独特のものですから」
と言う。そうだ、その通りだ。しかも、なおコストダウンに努めるか。卵党の一人として、ありがとう、生産者のみなさん。
今週のひと言
野党は与野党協議のテーブルに、とりあえず座ったらどうなのだ。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
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