7179 角を矯めて牛を殺すな 石岡荘十

大相撲の八百長問題で、日本相撲協会をなくしてしまえという意見がある。文部科学省の偉いさんが、公益法人の認可取り消しもありうるとテレビのぶら下がりで発言している。で、思い出したのが表題の諺である。
 
その意味は「牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとして、かえって牛を死なせてしまうことから、小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまう例え」だと学校で教わった。
事の真相がまだとことん明らかになっているわけではないが、すでに何人かの力士が事実上ゲロっているし、警視庁が携帯電話のやり取りしたメールの交信記録を復元して明らかにしている。そのメールのシナリオに出てくる実際の取り組みを記録映像と突合せたNHKのニュースを見ると、これはもう疑いようがない。
私は相撲に特段の深い関心を持っているわけではないが、小学校のころの子供相撲では、父母の故郷にある秋田の名山「鳥海山」を四股名にしたふんどしを締めて土俵に上がった経験がある。
そのころは、どこの学校(国民小学校)にも校庭に土俵と二宮金次郎の銅像があった。そんな育ちだった世代としては、相撲はいまどきのスポーツとはちと違う。国民のあるべき志を育てる徳育の一環、そう国技だったという思い入れがある。
だから、力士がいま何人いるか知らないが、10何人かの角が曲がっているからといって、牛を殺すことが最良の選択とはとても思えないのである。
そこで、さあ相撲協会、どうする?例えば、
・来月から始まる大阪場所の開催の是非、
・公益法人格の存続の是非
・NHKの中継の是非
・力士の給与体系をはじめとする業界のシステムの改革
などなど。ここが知恵の出しどころである。
話は跳ぶが、「JAPAN」“事件”。
戦時中の台湾統治の問題を扱ったNHKの番組だが、番組制作スタンスに事実誤認があった。謝罪と訂正を求める人々の渋谷駅前での集会、デモもあった。挙句、あるNHKOBは視聴料不払いに踏み切った、と本メルマガで明らかにして抗議の意思を表明している。
NHKは視聴料で成り立っているから、不払いはその存在を否定したことになる。OBだから年金はもらっているはずだが、返上したという話しは聞いていない。普通、牛を殺せと言うなら、ミルクは飲むべきではないだろう。
確かに、NHKの数え切れない番組の中には「これは、どうかな?」と疑問符がつく番組、つまり“角が曲がった”ものがないわけではない。だが、中には結構長生きしてきた私のような老人の盲を開かせる番組も少なくない。OBとして、またまだ現役の連中をよく知る者として、即、表題がひらめくのだ。相撲もそうであると信じたい。
大半の力士は“曲がった角”とは関係なく外人力士であっても、その多くが日本人力士に代わって“国技”を辛うじて相撲、“牛”の伝統を具現していると信じたいのである。
牛を殺してはならない。
角を矯めて牛を殺そうとする“見本”はテレビでもリアルタイムで中継されている。NHKの予算審議の国会中継とこれを捉えた泥濘政治評論である。
野党の追求と、翌日新聞の論旨は角を矯める、つまり曲がりを直そうとする謗りに終始している。中継翌日の政治評論は。「菅ヤメロ!」「一刻も早い解散総選挙」「小沢を出せ」だと。
ケツ(失礼!)を拭く能力もないくせに—。閣僚席にいる、野党の“標的”の一人をテレビ中継で見ていてそのご先祖の言いを思い出した。もじっていえば、
「嗚呼、吾子よ、(母は)人を謗れと教えよや—」
手許の新聞に、「正体見たり枯れ尾花」なのに、一兵卒を取り上げた「豪腕起訴」の連載記事。永い政治記者経験で刷り込まれた小沢=豪腕の妄から覚めよ!牛を殺さない知恵はないのか。
杜父魚文庫

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