7186 レーガン大統領のエセ信奉者たち 古森義久

本日2月6日はアメリカ第40代大統領のロナルド・レーガン氏の誕生日です。彼はちょうど100年前の今日、生まれました。その誕生100周年を記念してアメリカではレーガン氏への礼賛がしきりです。そのレーガン氏礼賛について一文を書きました。
ワシントンでは米国第40代大統領のロナルド・レーガン氏への礼賛が噴水のようにわきだしてきた。この6日が彼の誕生から100年となることが最大の契 機である。実体としても象徴としても保守主義のチャンピオンだった彼はいまではオバマ大統領はじめリベラル派からも絶賛される。
米国上院が3日に特別に開いたレーガン氏誕生100年祝賀会期でも、超リベラルの民主党ダイアン・ファインシュタイン議員までが同氏をほめそやした。
「レーガン大統領は冷戦を終結させる状況を作り出し、経済を回復させ、米国に楽観主義を復活させた」
「彼は常識への信念を抱く真に優しい人物で、米国政治の偉大な紳士だった」
だが同じリベラル派がレーガン大統領健在当時、どんな酷評をぶつけていたかを思うと、「リベラルがほめる保守主義者は故人だけ、健在な保守はすべて嫌われ、ののしられる」(政治評論家ケリー・ピケット氏)という保守側の皮肉な評をつい連想する。
とくにレーガン氏ほど激しくけなされてきた米国の政治家もまず他にないだろう。1960年代にカリフォルニア州知事を務めたころからそうだった。
80年代の大統領時代でもレーガン氏はリベラル派からは「すべての面で嫌悪すべき存在」(ウォルター・モンデール元副大統領)とか「あさはかな核カウボーイ」(著名コラムニスト、メリー・マグローリー氏)、「無知で病的な右翼の寵児(ちょうじ)」(ニューリパブリック誌社説)とののしられていた。
私自身もレーガン大統領登場のころリベラル系の研究機関「カーネギー国際平和財団」に勤めていたので、デスクを並べる民主党系の元政府高官や学者たちが連日、レーガン氏を口汚い言葉で非難するのをさんざん聞いていた。だから現在のリベラル派からの称賛には感ずるところ大である。
レーガン氏の政治理念も主張も長年、揺るがなかった。「徹底した小さな政府」「個人の自助努力や自由競争」「強固な軍事力」、そして「政府の民間介入への反対」「巨大な社会福祉への反対」「共産主義への強い反対」などである。
だがこの一連の主張も70年代後半に民主党リベラル派のカーター大統領がそのまさに反対の路線を進めて大失敗するまでの長い歳月、米国民多数派の支持は得られなかった。
だからこそレーガン氏は81年1月の大統領就任直後、若い時代からの活動母体だった「自由のための若きアメリカ人たち」という組織の祝賀集会で保守の孤独の日々を述懐し、涙ぐんだのだろう。
「私たちは屈辱の苦痛を何度、味わったことか。暗く寂しい夜を何度、過ごしたことか。だが保守の同志諸君! いまこそ私たちの時代が到来したのだ」
その保守を長年、さげすんだリベラル派がいまなぜレーガン氏をほめるのか。彼の主張が生前に左傾した軌跡はまったくないのだ。その理由は簡単にいえば、レーガン大統領の歴史的な実績と米国民一般からの一枚岩のような支持だろう。
ソ連帝国と断固対決して民主主義と自由を世界に広め、ミサイル防衛の戦略防衛構想(SDI)でソ連共産政権に崩壊への風穴を開け、米国の経済を繁栄させ、国民の自信を回復した。
そんなレーガン氏をいまけなせば、歴史と米国民の両方から手痛く斬り返されてしまう。
だからレーガン保守主義を長年、支持してきた研究機関「ヘリテージ財団」のエド・フュルナー会長は「左派の本当のレーガン礼賛の対象はせいぜい彼の偉大なコミュニケーター(交信者)としての発信能力ぐらいだろう」と述べる。
そして真のレーガン支持者か否かはレーガン大統領が離任の演説で述べた次の一節に 同意するかどうかで決めるべきだと論じるのだ。
「私たち国民が政府になにをするかを指示する。政府が国民に指示するのではない。国民が運転手で政府は自動車なのだ」
杜父魚文庫

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