7211 平成23年は”大正100年” 古沢襄

昨年から平成23年は1912年の大正改元から数えて100年目に当たる”大正100年”と言っているのだが、どうも反応が鈍くて盛り上がりに欠ける。明治生まれの父母から生まれた私は昭和ヒトケタ。その間でスッポリ抜け落ちている大正時代には見知らぬ世界、大正ロマンの香りがする。
ところが昭和ヒトケタが集まると、大正という時代に対するイメージはあまり良くない。大正ロマンの香りなんて言うのは”文学老年”の私ぐらいである。総じて「軟弱な、情けない時代」で片付けられてしまう。昭和ヒトケタの元軍国少年氏などは「日米戦争は大正生まれの兵士が戦ったから負けた」と珍説まで披露した。
明治学院大教授の原武史氏によると、明治が「清らかな偉大な英雄と神の時代」なのに対し、大正はカフェー(女性が接待した洋風の飲食店)や女性専用車が登場した、いわば女性重視の「軟弱な、情けない時代」と、三島由紀夫の小説「春の雪」に出ているのを指摘していた。
言葉を変えると明治が司馬遼太郎の「坂の上の雲」、戦争という時代背景を背負った時代だったのに対して、大正は戦争のない平和の短い15年間だったといえる。大正3年(1914)に第一次世界大戦が勃発したが、日本は八月にドイツに宣戦布告、十月にドイツ領南洋群島、十一月に青島を占領。だが主戦場は欧州だったから、日清・日露戦争の比ではない。
大正7年(1918)にシベリアに出兵しているが、戦争ではない。大正9年(1920)に日本は国際連盟に正式加入して常任理事国になった。アジアの大国として認められた。総じて大正時代は戦争のない平和な時代だったといえる。
むしろ日本が国内的な変革を迫られたのが大正時代といえる。大正7年に平民宰相の原敬による政友会内閣が成立。9年には第一回国勢調査が実施されて、日本の総人口は7700万人。
しかし大正7年に富山県下の魚津という小都市で始まった米騒動は、米価高騰に対する漁村の女性たちの怒りが主体で起こった。女性重視の「軟弱な、情けない時代」どころか米騒動は、たちまち関西各地に波及して寺内内閣が総辞職する遠因となった。大正9年は日本初のメーデーが行われた日でもある。
”大正デモクラシー”という歴史用語は政治学者の信夫清三郎氏が「大正デモクラシー史」で書いて以来、使われるようになったといわれるが、デモクラシー思想と同時にマルクス主義思想も入ってきた。共産党機関誌の「赤旗」の創刊が大正12年(1923)。この時代にマルクスの「資本論」も全訳されている。
これを文学の世界でみると大正時代がはっきりしてくる。やはり大正文学の代表は芥川龍之介ではないか。教養主義の担い手として、羅生門(1915)などの傑作を発表している。昭和2年(1927)に謎の自殺を遂げたが、私は昭和のプロレタリア文学の勃興と考え合わせている。
謎の自殺でいえば有島武郎の死も衝撃的である。クリスチャンの有島は志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」(1910年創刊)に参加して代表作に「カインの末裔」「或る女」の傑作がある。白樺派は大正・昭和を通じて文学史上に残るが、有島は大正12年に軽井沢の別荘で『婦人公論』記者・波多野秋子と心中死した。
死傷者20万人、消失家屋40万戸といわれた関東大震災が起こったのは大正12年9月。平和な大正時代が終わって戦争の昭和の足音が聞こえてくる。
杜父魚文庫

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