昨日のコラムで、ムバラク辞任の歴史的ニュースに遭遇して特番を組まなかったNHKに対し「死んだ」と書いた。である以上、今度は、わが古巣である産経も「死んだ」と書かないとフェアーとはいえなくなる。
12日付朝刊各紙。朝日「ムバラク大統領辞任」、毎日「ムバラク政権崩壊」、読売「ムバラク政権崩壊」、日経「エジプト大統領辞任」。いずれも1面トップ。堂々の白抜き横凸版見出しである。
産経はどうか。1面トップは「年金改革 産経の考え方」という自社もの。年金改革について産経新聞社の基本的考え方をまとめたという大型記事だ。
そのわき、1面左の連載コラムとの間の狭いすきまに、縦見出しで「エジプト 大統領が首都撤去 権限移譲 辞任は拒否」。
思わず、「うわー」と叫んでしまった。完璧に出遅れた記事である。産経だけがムバラクは辞任していないのだ。産経は夕刊がないから、読者に「ムバラク辞任」が伝わるのは完全に1日遅れとなる。これ以上の屈辱があるか。
産経在社中からかなり無理をして23区内の、都心にできるだけ近いところに住むようにしてきた。新聞記者をやっている以上、最終版を見なければ話にならない。郊外の一戸建てよりも、狭くてもいいから都心に近いマンションに住む。それがある種の職業倫理ではないか、と勝手に決めていた。
熟年バツイチとなったときは、赤坂のど真ん中の6畳ワンルームに住んだ。国会へも歩いていけるから、これは便利だった。(以上はそれぞれのライフスタイルと人生観によるもので、別に押しつけているわけではない。郊外に住んで、ハイレベルなコラムを書き続けた先輩記者もいた)
いまは、その思いとともに、同居人の仕事の都合もあって、四谷近辺に居住している。家賃は高いが各紙の最終版が見られるというのは、小生にとってはなにものにも代えがたい。
で、朝日は14版●(黒マル)、毎日14☆版(白ホシ)、読売14版、日経14版である。産経は15版だ。これが何を意味しているかは後述する。
ムバラク辞任の一報は時事通信の速報だと、日本時間12日午前1時6分である。これに先立って11日午後11時36分、エジプト国営テレビは大統領府がまもなく重要声明を発表すると伝えた(AFP時事)。1時間半まえから、辞任の観測が出ていたのだ。
1面の左上にある14版とか15版とかいうのは、新聞社によって違うが、一定の地域に送るのに間に合うよう新聞製作の「締め切り」時刻を何段階かに分けて設定したものだ。
産経の場合、15版というのは、おそらく昔は1版から15版まであって、そのうち5版までが夕刊、6版以降15版までが朝刊だったということを意味する。いまでは分散工場になっているから、かなり間引いて版建てが設定されているが、最終版が15版というのは変わらない。
余談だが、産経の場合、朝刊製作が終わって夜勤担当者が一杯やるのを「16版」と呼んでいた。(ゴルフだと19番ホールということになる)
最終版について、新聞協会加盟社は東京や大阪など主要拠点で「降版協定」というのを結んでいる。大昔は午前4時ごろの銀座のボヤを突っ込めるかどうかで争った時代もあったらしいが、そういう無駄な競争はやめようじゃないかというわけだ。
筆者の在社中は東京で午前1時35分、大阪はちょっと遅くて1時45分ではなかったか。いまは変更されたかもしれない。これはいわゆる締め切り時間とは違う。かつては降版のほぼ1時間前が原稿を整理部に渡す時間(これが締め切り)となっていたが、コンピューター製作で、これもずいぶん短縮されたようだ。
ともあれ、最終版の降版時間が過ぎたらニュースを入れてはいけない。だから、午前1時36分の小さな地震をうっかり入れたりすると、整理部長が各社にわび状を回すことになる。
大きな事件があったときは、協定解除を幹事社に申し入れ、全社が賛成すれば、協定は解除されて、あとは各社の能力に応じて何時まででも突っ込める。
実は産経の最終版は15版とされてはいるが、正式な届け出は15版▽(白三角)だったように記憶している。なにごともなければ15版でおしまいにするが、ぎりぎりで何か飛び込んだ場合は、15版▽を取る。
だから、産経も15版▽を取って、ムバラク辞任を突っ込んでいるのかもしれない。だが、であるにしても四谷に配達される新聞に載っていないのでは、「かたちだけの最終版」といわざるを得ない。
そこで、朝日や毎日についている●や☆は何を意味するか。これは「追いかけ」を取ったということだ。その版をいったんつくったが、ムバラク辞任が飛び込んだので、さらに追いかけて新しい版を降ろしたという意味である。
以上は多分に推測も交えての話だが、ここに各社の能力、余力が浮き彫りになる。もし最終版を印刷中に「追いかけ」を取った場合、印刷済みのものを「捨てて」、最初から必要部数を刷り直すか、それとも、刷ってしまった分はそのまま配達してしまうか、ということだ。
降版協定があっても、印刷能力さえあれば、たとえずれ込んでも分からない。午前1時6分に「辞任」の一報が入っているのだから、筆者の経験からいえば、当然、予定稿も大量に用意されているだろうから、30分もあれば十分に間に合う。
というよりも、間に合わせるのが出稿部、整理部、製作局、さらに販売局などを含めたプロとしての力量である。これが新聞社の総合的な力を示すことになる。
四谷居住者としては、「ムバラク辞任」がなぜ産経だけに載っていないのか、ここは読者の立場としても厳格に問いたださねばなるまい。
杜父魚文庫
7229 産経も「死んだ」? 花岡信昭

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