7242 愚鈍きわまりない元法相  花岡信昭

それにしても、とんでもない元政治家がいたものだ。自民党で法相も努めた杉浦正健氏。2009年の総選挙で落選し、引退したが、政界から引退したらじっとしていてくれないと困る。
こういうよけいなことをやるから、下記のような記事を書かれてしまうことになる。杉浦氏は韓国に出かけて「元従軍慰安婦の女性たちが暮らすナヌムの家」を訪問したという。
強制連行なるものはなかったことがすでに日本政府の調査でも判明していることを杉浦氏は知らなかったのか。だいたい、当時、従軍記者はいても、「従軍」慰安婦という言葉はなかった。
軍に「慰安所」がつきものであることは世界の常識だ。ベトナム戦争には韓国からも派兵されたが、そのため、ベトナムには韓国人との混血児が相当に生まれたことも知られている。
外国の記者らが慰安婦問題を取り上げると、「当時、兵隊たちはカネを払っていたことを知っているか」と聞くことにしている。強制連行されて兵士らのおもちゃにされたとばかり刷り込まれているから、その事実を聞くと、一様に驚く。
慰安婦はいたが、すべて「商売」だった。病気の心配があったりするから軍が慰安所を管理していたことは事実だが、軍が組織的強制的に婦女子を連行した事実はない。あの時代、貧しい女性たちがそういう境遇におかれたことには同情するものの、韓国側の主張はほとんど反日プロパガンダである。
慰安所にはもちろん日本人の女性もいた。日本の中で強制連行によって慰安婦にされたという訴えが一件もないことは何を意味するか。
もっとも、国際政治や外交戦略というのは、嘘も承知で相手を非難することが許される世界だから、宣伝戦に負けた日本側の無策も問いたださないといけない。
杉浦氏はそういう事情も知らないのか。それで政治家をやっていたというのだから、あきれかえるばかりだ。杉浦氏は法相になって、宗教上の理由で死刑執行書に署名しなかったという人だ。死刑反対なら法相を受けるべきではなかった。
その当時から愚鈍な政治家だなと思っていたが、政治家をやめてからもこういう失態をおかす。晩節を汚すというのはこういうのを指す。
田舎に引っ込んで、表に出ることはいっさい避けた方がいい。とんだ迷惑である。以下、「朝鮮日報」の記事を引用する。
<「朝鮮日報」11/02/14
慰安婦:日本の元法相が「ナヌムの家」訪問 韓国の元法務部長官と共に献花、元慰安婦と面会
韓国と日本の法相経験者が、旧日本軍の元従軍慰安婦の女性たちが暮らす京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪問した。日本の杉浦正健元法相(76)と、金成浩(キム・ソンホ)法務部(省に相当)長官(61)は13日、「ナヌムの家」の追悼公園で献花し、教育観や歴史観について意見を交わした後、生活館で元慰安婦たちと面会した。今回の訪問には、「ナヌムの家」の後援会長を務める李翰成(イ・ハンソン)議員(ハンナラ党)や、韓国文化財団のイ・チャング理事も同行した。
杉浦元法相は「個人的に韓国を訪問した」と前置きした上で「元慰安婦の女性たちと直接会い、被害の実情を確認したかった。日本に帰って、今回見聞きしたことを伝えたい。未来を信じ、若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と語った。衆議院議員を通算6期務めた杉浦氏は、2005年から06年にかけて法相を務めた。一方、金元長官は現在、財団法人「幸福財団」の理事長を務めている。
元慰安婦たちは「歴史問題の解決に向け、前向きな姿勢を見せない日本政府の謝罪や補償が実現するまでは絶対に死ねない」と発言した。これに対し金元長官は「謝罪を望むのであれば、長生きしなければいけない」と語りかけた。「ナヌムの家」側は「純粋に一民間人として、悲しい歴史の現場を訪れ、被害の実情を把握し痛みを分かち合うため、今回の訪問を快諾した」と話した。現在、「ナヌムの家」には生存している元慰安婦75人のうち8人が暮らしている。
【参考】杉浦正健 (すぎうら せいけん、1934年7月26日 -)は、日本の政治家。自由民主党所属の前衆議院議員。愛知県岡崎市出身。衆議院議員を計6期務めた。2009年の総選挙で中根康浩に敗れ、政界を引退した。2005年10月31日に発足した第3次小泉改造内閣では法務大臣を務めた。小泉純一郎の側近中の側近といわれており、小泉の引退後は中川秀直の側近とされていた。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>
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