東京国際軍事裁判の被告で死刑を宣告された陸軍中将、陸軍軍務局長武藤章は、面会にきた娘に、「よき相手と結婚するように、但し、検事は人間の屑だから、よせ」と言い残した。
この言葉を発した武藤章に、我が体験を顧み、大いなる共感を覚える。組織の体面のために、政治的意図のために、自己の保身のために、さらに単なる出世のために、何が何でも、つまり証拠を捏造しても、罪をでっち上げて人を有罪にし、エリート面をしている検事は、人間の屑だ。
昨年の厚生省局長を被告人とする裁判で、大阪地検特捜部の「人間の屑」が明るみに出た。私自身も、無念の思いを消すことはできない。従って、冒頭に武藤章の娘に残した最後の言葉を紹介した。
しかし、人間の屑であるのは、上に書いたような要件に当てはまる者であって、刑事司法そして治安の維持に従事している人材一般には、決して言ってはならない。
そうなれば、我が国の「法の支配」は維持できなくなり治安は崩壊する。誰が好きこのんで「人間の屑」と言われる仕事に従事しようか。そこで、気になる風潮があるので、角を矯めて牛を殺してはならない、と指摘しておきたい。
以前、暴力団組員に、「拳銃を持ってこい」と怒鳴りつけてコインロッカーに持ってこさせた刑事がいた。その刑事は、銃刀法違反に問われた。組員に「拳銃を持ってこい」と言ったのは、拳銃所持の教唆にあたる、というのである。警察は、この刑事を懲戒処分にした。
そこで、衆議院法務委員会で質問した。暴力団組員相手に、「お手数をかけますが、拳銃を持ってきていただけませんか」と言えばよかったのか、と。
昨日、任意の取り調べで、相手に「殴るぞ」などの暴言を吐いたとして、警部補が脅迫罪で起訴された刑事事件が報道されていた。その取り調べ状況は、「被害者」によって録音されており、それに基づいて刑事告訴されたという。従って、被害者側からその録音内容もマスコミに提出されたのであろう、報道されていた。
確かに、警部補の発言は、暴力団のように乱暴で柄が悪い。しかし、乱暴で柄が悪いのを全て「脅迫」とすると、どうなるのか。刑事の発言は、全て「恐れ入りますが、拳銃を持ってきていただけませんか」と同じになる。
私は、昨日報道された事件に関して言うのではないが、一般的に言って、報道された警部補の発言は、許容されると思う。
「警察は人を助けるところだが、悪に対しては怖いところだ。だから、万引きなど絶対にしたらいかんよ」と、子供達に言えなければならないではないか。
それを、「万引きしても、警察のおっちゃんは、学校よりやさしいんですよ」と教えなければならないのか。そうなれば、街の治安はどうなる。
また、昨日の事件でも警部補とのやりとりは録音されていたのだが、小沢一郎さんの秘書も検事とのやりとりを録音していた。
昨日の事件はともかく、小沢さんの秘書の場合、密かに録音して、検事を罠にはめたようだ。録音していることを検事は知らないが、秘書は知っている。こういう状況では、秘書は、検事が「脅迫」しているように誘導、挑発することもできるし、検事が「利益誘導」、「不利益誘導」しているように取り調べを仕向けることができる。
なるほど、親分が親分なら、子分も抜け目なくフェアーじゃないなー、と思ったものだ。
そこで、取り調べの可視化(取り調べ状況をビデオで撮影しておくこと)であるが、私の結論。これは不可である。
この取り調べの可視化を導入するなら、国民は治安の崩壊つまり刑事司法の機能不全、巨悪の放任を許容しなければならない。つまり、この可視化は、角を矯めて牛を殺すことなのである。
取り調べとは、取り調べる側と被疑者との一つの人間関係構築の場である。従って、真実が現れるのだ。そうではなく、映像記録の場、役者のように「収録の場」になれば真実は現れない。
例えば、目黒における老夫婦殺傷事件においても、「動機」は何かと解明しなければならない。これは「映像収録」では解明無理だ。
また先日、九十歳を超えた認知症の母を七十歳代の息子が殺した。この事件の「動機」を如何にして明らかにするのか。被疑者は、人間存在のあらゆる恥ずかしさ惨めさ、そして卑劣さを赤裸々にせねばならない。これをビデオの前でできますか。役者じゃあるまいし。
これら例を挙げただけでもおわかりいただけると思うが、取り調べにおける人間関係が大切である。時間をかけて、相手によって、世間話をする身の上話を聞く馬鹿話、猥談もする、これが取り調べを成功させるか否かを決める。もちろん、怒鳴ることも必要である。しかし、ビデオで撮っておれば、これらはできない。
従って、捜査における取り調べの重要性を考えれば考えるほど、可視化は、刑事司法を弱体化させる。
しかるに、この可視化の問題点を一番知り尽くしていなければならない検事が、自分が被疑者になれば、一転して一番に取り調べの可視化を訴え始めた。大阪地検特捜部の逮捕された検事達である。やはり、人間の屑と言われても仕方がない。
杜父魚文庫
7300 角を矯めて牛を殺すな 西村眞悟

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