明治十一年 戊寅(ツチノエトラ・・・1878年の記録)
【巣郷本の記録】
花巻より警察所が沢内に移ってきた。この年より沢内通りは西和賀郡となった。(郡役所を新町に置く。「沢内村史―年表」)
【「岩手県史―第十二巻(年表)」より】
『県内事項』
◎十一月二十六日郡区編成法により十一郡を十九に分画し胆沢江刺は一の郡役所とし十八郡役所を設置することとする。
◎十二月十日県下六百四十二ケ村を三百三ケ村に編成変えする。十二日政談論議の演説者は氏名場所等所管警察署に届出せしめる。
『県外事項』
◎四月十日地方官会議を開く。
◎五月十四日大久保利通(49歳)暗殺される。
◎七月十二日内務省、土民結社政体妄議の禁止を令達する。二十二日郡区町村編成法、府県会規則地方税規則(三新法)を制定する。この月金禄公債証書発行を開始する。
明治十二年 己卯(ツチノトウ・・・1879年の記録)
【巣郷本の記録】記録無し
【「岩手県史―第十二巻(年表)」より】
『県内事項』の主な事項
◎一月四日郡村改変により郡に郡長書記筆生を置く。六日郡役所十八、村役場三百三来る十五日を期し開庁することとする。十日公立盛岡師範学校を県立岩手師範学校と改称布達する。この月盛岡病院及び付属医学所を県立岩手医学校及び付属岩手病院と改称する。
◎二月十日県会議員選挙順序を布達する。
◎三月一日府県令規則による第一回岩手県会議員選挙執行。
◎八月東閉伊郡浦鍬ヶ崎(現宮古市)にコレラ発生。
◎九月南九戸郡宇部村字久喜浦にコレラ発生する。
◎十一月七日宇部村久喜浦、浦鍬ヶ崎に発生したるコレラ漸く撲滅する。
『県外事項』
◎二月七日政府初めて会計決算を公示する。
◎三月七日大隈に条約改正事務審査を命ずる。
◎六月東京招魂社を靖国神社と改称する。
◎九月二十九日学制を廃し教育令を定める。
◎十月二七日徴兵令改正を布告する。
◎十二月一日大隈の地租再検延期案を採用決定する。この年士族授産資金貸付を開始する。
明治十三年 庚辰(カノエタツ・・・1880年の記録)
【巣郷本の記録】記録無し。
【「岩手県史―第十二巻(年表)より】
『県内事項』主なもの。
◎三月三十日宮古警察署飯岡分署を山田分署と改称する。又新町警察署(現西和賀町)廃し更に分署を置き黒沢尻警察署の所轄となし又宮古警察署津軽石分署を廃する。
◎四月二十三日西閉伊郡横田村、南九戸郡大川目村、西和賀郡新町村に郡病院設置する。
◎五月二七日公立岩手中学校開設される。(現・岩手県立盛岡第一高等学校)校舎は一時師範学校校舎を利用する。
『県外事項』
◎二月十八日参議の省卿兼任を廃止し内閣(太政官)と各省を分離する。二十八日横浜正金銀行開業する。
◎三月三十日村田銃を軍用銃に指定する。
◎四月五日集会条例を公布する。八日府県会規則を改正し郡区町村会法を頒布する。十九日日本訳新約聖書完成する。
◎五月二十日地価五年間据置を決定する。
◎七月九日古社寺保存内規を制定する。
◎九月二七日酒造税制を制定する。
◎十一月三日天長節に宮内省長岡広守作曲の君が代を演奏させる。この月松方正義紙幣整理に着手する。
◎十二月二十八日 教育令改正する。この年大日本勧農義社結成する。政府起業基金でイギリスより二千錘紡機十基輸入し十の機械工場設立を計画する。
明治十四年 辛巳(カノトミ・・・1881年の記録)
【巣郷本の記録】川尻橋が完成した。秋田県、岩手県の県境では新道(平和街道・現在の国道107号線)の完成を祝う祭りが実施された。
十月二十七日は完成祝いの祭りが巣郷地区で実施された。三人の政府高官と岩手県令(県知事)と秋田県令ほか四百人ばかりが参加出席された。
この会場設定は巾四間(1間は1.81m・7.24m)長さ二十四間(約43m)の敷地に小屋を六、七軒建てて実施された。
野々宿組は二十一戸数あるが、一戸当たり茅三百二十把(屋根葺きの材料)長木九本(組み立て柱)、板二十枚、おがら三十把(麻糸をはぎ取った殻)、茅簀三枚(茅で作った簾)ずつ出した。なかなか難しく、大いに困り迷惑した。しかし、巣郷ではめったに見ることの出来ない開通式であった。
この年、明治十四年九月天子様(天皇)が秋田に来られることになり、横手までいって参拝した。付き添われたご人数は馬車二台、歩兵の御馬乗り八十頭、その他御官員様方(役人)は何百人いるのか数えきれないほどであった。
明治九年より十四年までの間、作柄は平均して中作であった。(『「平和街道120年記念誌―平和と交流ゆるぎなく」・平和街道開通120年記念事業実行委員会・平成15年刊』によると開通式典は明治15年10月27日となっている。沢内年代記の記録と一年の違いがある。
開通式には山田顕義内務卿が北海道巡視の帰途、その臨場を請い、岩手県令島惟精・秋田県令石田英吉ら多数出席して、県境の巣郷で行われたとある。
なお、「明治政府は、近代産業育成のため明治6年・1873内務省を設置した。初代内務卿になった大久保利通は、鉱産資源や原野の開拓、そして東京を中心とした交通網の整備など殖産興業政策に積極的に取り組んだ。
東北地方の開発は明治9年、明治天皇の東北巡行から具体化する。天皇の巡幸は戊辰戦争で敵対関係にあった東北地方の民心を掌握することと、産業開発が目的であったといわれる。大久保利通は、この巡幸にさきがけて東北地方の各県令に指令して、各県の産業開発の在り方について意見書を提出させている。・・・・明治11年5月1日、政府は大久保の主張する殖産事業遂行のため、始めて起業公債を発行1,250万円を募集した。この国債のうち1,000万円を各事業に配分した。・・・岩手・秋田両県下新道開削費・平和街道・93,349円・・・東北開発に投資する総額は対全国比31%強となっている。
・・・平和街道の路線は、明治11年夏、内務省土木局長石井省一郎とオランダ工師ファン・ドールンが現地を視察し利害を確かめて道筋を決めている。その道筋は黒沢尻―川尻―巣郷―小松川―横手であり、和賀川と黒沢川の北岸を通るコースであった。・・・黒沢尻・横手間の距離は66㎞、道幅5.4m、山間は3.6mであった。その工事費9万3千円強ではあまりに少額であった。・・・国費と地元で負担することになった・・・」とある。)【岩手県史―第十二巻(年表)より】
『県内事項の主なもの』
◎六月二十四日、八月に北海道へ御巡行あり、県下はその順路にあたるため臨時係を置く。
◎八月十九日、天皇盛岡に到着江差小路菊池邸に宿泊する。二十一日天皇盛岡を発し北海道に向かう。函館街道筋胆沢川に新橋を架し再巡橋と称する。
◎九月十三日御巡行事務結了、係を解く。
『県外事項』
◎一月十四日警視庁を東京に再置する。
◎三月大隈重信、明治十六年国会開設を上議する。この月憲兵制度を創設する。
◎四月七日の農商務省を設置する。この月各府県に農工商諮問会を設置する。
◎六月八日秋田県立志社の暴動起こる。十一日真宗西本願寺派を大谷派と改める。
◎十月九日松方正義大蔵卿に任命され、松方財政開始する。
◎十一月十二日、明治二十三年を期して国会開設の旨詔諭がある。
◎十二月大日本農会創立される。この年海軍造兵廠洋式製銅を開始する。
明治十五年 壬午 (ミズノエウマ・・・1882年の記録)
【巣郷本の記録】十五年も作柄は上作であった。(この年の記録はこの1行で終わっている。)
【岩手県史―第十二巻(年表)より】
『県内事項の主なもの』
◎三月三日官営釜石鉱山バットル法による錬鉄製造を開始する。
◎七月一日臨時県会開かれる三日まで議長上田農夫、副議長中村栄儒。
◎九月二日、無効に属したる地券の還納を拒むものの処分方手続きを定める。二十七日横手街道(後平和街道と称す・北上~横手・現在の国道107号線)開削なり内務卿臨場岩手県令秋田県令その他両県管轄境に於いて開通式を行う。〈「沢内年代記」の明治十四年の開通式の記録は後年思い出して記録されたか。書き写しの段階で明治十五年を十四年の記録間違えたとおもわれる。〉
『県外事項』
◎一月四日勅諭を軍人に下す。この月大日本山林会、水産会設立される。
◎二月二十七日伊藤博文、憲法及び制度研究のため渡欧決定する。
◎三月一日松方正義中央銀行の設立建議し十月日本銀行開業する。
◎四月十二日日本鉄道会社創立許可される。
◎六月三日集会条例改正追加する。
◎七月二十三日日本公使館襲撃され日本出兵する。
◎八月五日戒厳令制定される。
◎十二月二十二日陸海軍整備の詔下る。三十日海軍省に軍艦造建を命ずる。この年幼学綱要刊行される。
杜父魚文庫
7305 「沢内年代記」を読み解く(三十五) 高橋繁

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