7312 ティッシュペーパーと若い女性と 岩見隆夫

『毎日新聞』の投書欄の〈みんなの広場〉で一つの論争が続いている。私には大変に興味深く、時宜を得たディベートだと思う。口頭でなく、文字を通じて論じ合うのは、また格別の味があるものだ。
きっかけは一月六日付の同欄、東京都江東区の鈴木康吉さん(六十九歳)による〈“意地悪じいさん”の小言〉と題がついた次の投書だった。
ラーメン屋さんのカウンター席で若い女性と隣り合わせた。なかなか食べっぷりがいい女性で、せっせと目の前のティッシュペーパーを抜いて鼻をかんでは、ラーメンをすすっていた。
ところが、なぜか使ったティッシュをカウンターの上に置いて代金を払うと、そのまま店を出ようとした。私は「忘れ物ですよ」と声をかけた。この女性は「はっ!」と小さく声をあげて自分の座った席に戻って来て、「え?」と再び声を出すのと、私がそのチリ紙を指さすのと同時だった。
その時、お店のおばさんがどんぶりを下げに来て、「いいんですよ」と、新しいティッシュを1枚引き抜いて、それを包んで下げて行った。あうんの呼吸というのだろうか?
女性は礼を言うでもなく、そのまま出て行った。「今の若い人、そうなんですよ」と、客扱いに慣れたおばさんが小さい声で言った。妻は「その人は、いやなじいさんにあったと、どこかで毒づいているわよ」と言うのだが……。
全文引用したのは、鈴木さんの描写力が巧みで削りにくかったのと、その時の情景が目に見えるようだったからだ。この投書に対し、一月二十四日付で、埼玉県久喜市の小松沢甫さん(六十五歳)が反論した。
〈何とも不快感が去りません。私の見解は逆です。確かに彼女の行為は品のいいものではありません。だが、それは違法行為ではありません。どちらかというと個人の良識に帰すべき問題です。家族内では注意すべきですが、まったく面識のない他人にまで道徳観を説教するのは行き過ぎではないでしょうか。
社会生活をギスギスさせかねません。そして気になるのは文面に漂う「いまの若いモンはなっとらん」という年寄り臭さです。もっとおおらかに生きましょう〉という要旨である。
さらに二月八日付。大阪市東住吉区の岸正雄さん(六十二歳)が小松沢さんに異を唱えた。
〈この女性の行いは、良識の問題というより「行儀」の問題だと思います。忠告くらいしても、なんらおかしくありません。
そのようなことが、かつての日本人一般の「良識」だったと思いますし、礼儀正しく清潔好きな国民という国際的な評価を得た源だったのでしょう。「おおらか」と放任とは、根本的なところが違います〉と。
良識なのか行儀なのか、シツケ放棄が悪いのか。
同欄の担当者に聞くと、このティッシュ事件をめぐる投書はかなりの数にのぼり、近く四回目を掲載の予定という。
「意見はいろいろですが、鈴木さんに共感するのが多かったようです」ということだった。
三本の投書を読んで、まず投書主の三人とも敗戦前後に生まれた六十代であることに着目したい。若い女性の年齢はわからないが、投書主の娘かもう少し下の世代と思われる。その娘たちの立ち居振る舞いが気になって仕方ない。私も同じだ。
「私たちが若かったころ、女性はつつましく、静かで恥じらいがあった。他人に対する気遣いもあった。やさしさが女性の魅力だった。それがいつのまにか……」
と不満である。ティッシュ事件に類することは、日常的にそこら中で起きている。気に病みだしたら、もはや街なんか歩くことができない。女性は明らかに変わった。
理由ははっきりしている。私(七十五歳)の世代や投書主たちの世代が日ごろ、娘のシツケを怠ってきたからだ。なぜ怠ったのか。その理由もはっきりしている。
親にとって、戦後社会はシツケがしにくい風潮になっていた。〈自由と平等〉こそ新時代の基本理念とみなされ、親の側もそれにかぶれがちだった。子供の家庭教育も自由放任、つまり不干渉が好ましいと錯覚した。
「うちは放任主義ですから」と誇らしげに言う親がいまも少なくなく、シツケ放棄にさほど痛痒を感じない。そして六十五年余が過ぎ、シツケを怠ったことは忘れて、女性の異常が気になりだした。
ティッシュ事件の女性は、多分、行儀悪いことをしたという自覚がない。鈴木さんがせっかく、
「忘れ物ですよ」と気配りある言葉をかけたのに、彼女には意味が通じなかったのではないか、と私は思う。非シツケ社会はそこまできている。
だが、それでも、鈴木さんの行為は貴重だった。私が居合わせたら、腹を立てても、声を掛けていない。若い女性たちにあきらめかけているからだ。あきらめずに、鈴木さんは反応したわけで、みんなが鈴木さんのように声を出したら、いくらか変わるかもしれない。だから、小松沢さんのように、行き過ぎとはまったく思わない。岸さんの見解に賛成である。
それはそうなのだが、現状では私は悲観的だ。若い女性は行儀作法の意識がまるでない。折に触れ、人生の先輩が忠告する程度では、根本的な解決に結びつかないのではないかと思う。ではどうすればいいのか。
すぐに明快な答えなど見つかるはずがない。だからこそ、ティッシュ事件論争をもっともっと広げてほしいのだ。若い女性が悪いのではない。行儀作法を知らない娘に育ってしまった根っこに何があるのか。根は相当深いとみなければならない。
ラーメンをすすっていた若い女性が名乗り出て、ディベートに参加してくれればありがたい。議論はさらに深まり、新たな発見があるに違いない。とにかく、みんなで考え、気分よく住める社会にするしかないのだから。
<今週のひと言> 菅さん、もっと歯切れよく。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

コメント

  1. 黒田与作 より:

    数年前、私も同じような体験があります。中学生の団体旅行だったろうと・・・・昼の高速道食堂内でのこと。飯がまずくなるほどのあまりの喧騒さにこちらも、「おい、君たち廻りの迷惑を考えてもう少し静かにしてくれ・・」彼等からかえってきたのは「 なんだ、このじいさん・・・」
    私ども年配者の責任であるのだが、一から教育のやりなおしだと。

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