中近東からオイルを除いたら、日本にとって今でも遠くて”遠い地域”だったに違いない。イスラム教の研究者の数も限られたと思う。それが今では猫も杓子も中東に民主化の波が押し寄せていると、物識り顔に解説している。
在ドイツのクライン孝子さんが「中東政変ドミノで笑うのは誰だ?」とかなり核心を突いた発言をしていた。<<親米のムバラク政権が倒れた後に、今度は反米のカダフィ政権が崩壊しようとしている。この革命連鎖は果たして「民主化要求」の流れだけによるのだろうか?
原油や穀物が値上がりする中で、ロシア,アメリカの資源マフィア達の高笑いが聞こえてくるようである。日本で報道されているような「綺麗事」では済まない、世界の裏舞台についてお話しさせて頂きます。>>
http://www.youtube.com/watch?v=YMd-cUk_Afo
戦後日本で初めて本格的なオイル資源外交を展開したのは田中角栄首相だったのではないか。日本の高度成長政策がピークに達して、わが国のオイル需要が飛躍的に増えた
その意味では田中角栄が初めて本格的なオイル外交を展開したことになる。田中首相は副総理兼環境庁長官の三木武夫を中東八カ国へ歴訪させた。
三木武夫は中近東外交の先覚者ぶっていたが、これは少し違う。田中よりインテリの三木は中近東をオイルだけでなく、イギリスやフランスによる分割統治の時代、イスラム教の影響といった面でも理解しようとしていた。
実務型の田中はオイル外交の一点に絞って中近東外交を進めようとしていた。国際石油資本メジャーとの一戦も辞さない強気の角栄外交である。
田中首相の在任中、1973年10月6日に第4次中東戦争が勃発している。すでに高度成長政策に転じていた日本は、この戦争の影響で深刻な「オイル・ショック(第一次石油危機)」に見舞われた。ペルシャ湾岸6カ国が、OPECが緊急閣僚会議を開き、石油の原油生産削減と原油価格の大幅引き上げを一方的に宣言したからである。
しかし「アラブにとっての友好国には影響を与えない」という条件が付いた。世界最大の原油輸入国で88%まで中近東の石油に依存する日本だったから、田中が思い切った中近東外交の転換を謀ったのは当然のことである。
これを見て取ったキッシンジャー国務長官は、田中首相と会談して「中東和平工作を進めているので、日本がアラブ寄りに外交方針を変えることは控えて欲しい。無理をすると日米関係にもヒビガ入る」と圧力をかけてきたのがこの年の十一月。外務省は飛び上がった。
田中首相は「日本の中東に対する石油依存度が極めて高く、アメリカが石油の代替供給をしてくれない限り、日本はアラブ寄りにならざるを得ない」と応じている。事実、田中内閣は中近東政策の軸足をイスラエルからアラブ諸国に移し始めた。さらにはメジャーによる国際石油資本とは別に民族系資本による「日の丸石油」の開発を模索し始めている。
このあたりは、今の菅首相と比較してみると器の違いがはっきりする。田中が生きていれば「中東の民主化の波なんて・・・」と一笑に付するであろう。反対に三木なら「民主化の流れは押し止めることはできない」と物識り顔で解説するだろう。
杜父魚文庫
7323 中東政変ドミノで笑うのは誰だ? 古沢襄

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