7362 言葉のごまかしが多すぎないか 加瀬英明

戦後、言葉をごまかして使うことが多くて、目に余る。その一つが、「マニフェスト」だ。そもそもマニフェストとは、日本では1990年に産業廃棄物を処理するために制定された制度である。それがいつの間にか、「公約」という意味で使われている。
さらに「アジェンダ」なる言葉も耳に入ってくる。何を意味しているのか、すぐに理解できる人は少ないだろう。
カタカナ英語には、本来の意味を柔らかく隠して伝える効果がある。「借金」「性」といえば自制心が働くが、「ローン」「クレジット」「エイッチ」というと、責任感が一気に軽くなる。言葉のいい換えは、もとの言葉の意味を変えてしまう。
日本には、古くから言葉に霊的な力が宿るとする〃言霊(ことだま)信仰〃があった。不吉な言葉を使うと悪いことが起こるとされたので、験(げん)を担いで、別の言葉に置き換えてきた。宴会は「終わり」ではなく「お開き」といい、葦の群生する葦原(あしわら)と呼ばれた場所につくられた遊郭は、「悪し」は縁起が悪いから、徳川幕府によって吉原となった。
時代は下り太平洋戦争がはじまると、日本軍部は「退却」を「転進」、「全滅」を「玉砕」といって、現実を封印した。戦後の日本政府は「敗戦」を「終戦」、「占領軍」を「進駐軍」といい換えた。行き過ぎた言霊信仰が、言葉の持つ本質的な意味を変えた典型例である。
もう一つ例を挙げるなら、歴代の首相の施政方針演説などで必ず使われる「国連中心主義」もごまかし以外の何ものでもない。国連の最高意思決定機関は5か国の常任理事国と10か国の非常任理事国で構成される安全保障理事会である。常任理事国がそれぞれ拒否権を持っているから、一国でも反対すれば国連は決定することができない――「中心」がない機関なのだ。
これは世界の常識で、日本だけが「中心のないものを、中心にしよう」といっているのだから、滑稽だ。中国が尖閣諸島を攻めて奪うことがあったら、常任理事国の中国が拒否権を使うはずだから、国連は動けない。助けてくれる可能性があるのは、アメリカだけだ。
「国連」という呼称そのものに問題がある。昭和16年12月8日、日本は真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入した。翌年1月1日にルーズベルト大統領が日本と戦っている諸国をワシントンに集め、「我々の同盟を『ユナイテッド・ネーションズ』と呼ぼう」と宣言した(連合国共同宣言)。
連合国である。東京を焼き払い、広島、長崎に核爆弾を投下したのは、ユナイテッド・ネーションズの空軍だった。1945年に国際機関の「ユナイテッド・ネーションズ」が誕生したが、中韓両国が「連合国」と正しく呼んでいるのをはじめ、世界の国々はそれぞれ「連合国」と訳している。太平洋戦争終結直前に産声(うぶごえ)をあげた国際機関である〃国際連合〃への加盟条件は、「日本と戦っている国」だった。
日本はこの「連合国」を「国際連合」と誤訳して、平和の殿堂として崇めている。これを世迷い言といわずして何といえばいいのか。
耳に甘い言葉は、真実を覆い隠す。東京には「国連大学」があって、国民の税金が投入されている。連合国大学だったら、日本に誘致しなかったはずだ。全国に「国連協会」という善男善女の団体もある。
言葉のごまかしは、ほかにもまだある。「自衛隊」はなぜ「軍」ではないのか。「砲兵」を「特科」、「歩兵」を「普通科」と呼ぶのはどうしてなのか。「兵」がよくないからだという。
かつて日本は「四つ足」の動物を食べることを忌避したために、猪を「山鯨」と呼び、兎をいまだに鳥のように「一羽、二羽」と数える。自衛隊は山鯨や、兎を鳥としているのと、変わりがない。自ら幻想を作り出して、本質を曲げている。
言葉は重要だ。正しい言葉を使うことによって、現実をあるがままに見据えなければならない。日本は現実から逃げて、目を背けているかぎり、夢遊病者だ。(週間ポスト)
 
杜父魚文庫

コメント

  1. より:

    論旨に全面的に賛同するが、一点だけ異義がある。「太平洋戦争」だ。
    昭和16年からの戦争は正式に「大東亜戦争」と命名されている。東亜解放戦争の意味だ。結果、武運拙く日本は敗れたが、戦後アジア諸国は独立を勝ち取っている。
    折角だが画竜点睛を欠くことになった。

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