7407 ニックネームの今昔 岩見隆夫

このところ、菅直人首相にニックネーム(愛称)を付けるとすれば、何だろうか、とずっと考えてきたが、これぞという案に思い至らない。
同僚に相談すると、「無理です。愛称向きじゃない」と協力的でないが、批判するだけでなく、ニックネームはあったほうがいい。
初のテレビ首相だった小泉純一郎は、髪形から、<ライオン首相>と言われ、割合定着していた。初代の<ライオン首相>は、戦前の浜口雄幸(おさち)(在任1929~31年)である。面相がそっくりだった。信念型の性格も2人は似ている。くしくも、浜口内閣の逓信相は小泉の祖父、又次郎だ。
ニックネームはだれが付けたか不明のことが多いが、政治家と世間の間を縮める政治ジャーナリズムの仕事の一つではないかと思う。やはり戦前の寺内正毅(まさたけ)(在任1916~18年)は、
<ビリケン首相>と呼ばれた。頭の形がとがっているところが、当時世界的に流行したアメリカのビリケン人形に酷似していたからだった。
命名者は「東京日日新聞」(「毎日新聞」の前身)の政治記者、小野賢一郎である。小野の著書「明治・大正・昭和-記者生活二十年の記録」(昭和4年刊・非売品)によると、寺内は日露戦争時(1904~05年)の陸相で韓国統監を兼務した。日韓併合を実現し、初代朝鮮総督をして晴れの帰国となる。
小野は寺内が到着する新橋駅頭の取材を命じられた。駅に着いたが、汽車の時刻に間があったので、銀座をぶらついていると、外国ものを輸入する雑貨店の店先に、頭のとがったへんな人形が置いてある。店員に聞いた。
「これは何という人形ですか」
「ビリケンといって、西洋の福の神です」
「いくらですか」
「いま着いたばかりで、まだ決まっていません」
そのまま駅に行ったが、一等車から降り立ち、写真班のマグネシウムの煙のなかを抜けてくる寺内の姿はまぎれもなくビリケンだった。
帰社して、<ビリケン首相>の記事を書く。それが広がり、漫画も描かれ、ビリケン時代などと言われた。ついでに、桂太郎(在任1901~13年に3次約8年)に、
<ニコポン首相>のあだ名を付けたのも小野だった。桂は長州閥のサラブレッドで、日英同盟を締結、日露戦争を勝利させた。
<桂の頭は日本一大きいのに手は日本一小さい。天下の政治家、実業家を懐柔するのに、にこにこと愛嬌(あいきょう)をみせ、この小さい手でぽんと背中をたたくと相手はぐにゃぐにゃと参ってしまう。何回もそれを書くうちに縮めてニコポンになってしまった>
と小野は記している。これもヒットし、人々の口の端にのぼった。
ニコポン的懐柔術の天才は、歴史的には秀吉、戦後なら田中角栄だろう。
だが、ニックネーム戦後版はもうひとつパッとしない。ワンマン(吉田茂)、今太閤(田中角栄)、バルカン(三木武夫)、大勲位(中曽根康弘)などいくつかあるにはあるが、愛称のにおいが薄い。
こう短命首相が続くのでは、ニックネームを付けるいとまもないという事情も、最近はあるのだろう。メディアの側には、ゆとりをもった観察眼が足りないのかもしれない。
ことに週刊誌にあふれる菅政権や政治家批判のどぎついワーディングは異常である。政治不信をあおっているとしか思えない。それより味のあるニックネームだ。(敬称略)
杜父魚文庫

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