当然、話し言葉にはうまい、へたがある。しかし、うまいからといって、聞いて必ずしも感じ入るわけではない。逆にへたでも、心にしみて聞けることがある。
言葉の面白いところだ。話すことを業としている政治家や役者、テレビタレント、キャスター、コメンテーター、漫才師たちのもの言いを毎日聞きながら、それを思っている。巧拙も大切だが、言葉は人なりで、内側に秘めたさまざまなことが透けて見えてくる。それが、図星かどうかはわからない。こちらの感度も試されているのだ。
一般的な傾向として、言葉が軽く冗舌になった。力強くない。胸にこたえてこない。適当な例かどうかわからないが、政府に自殺総合対策会議が設けられている。先週の会議で、三月に終える予定だった関係省庁による緊急自殺対策チームの活動を一年間延長すると決めた。菅直人首相がこの時のあいさつで、
「なんとしても、三万人という大台を割ることを、もう一年で達成したいというのが強い思いだ」
と述べたそうである。二〇一〇年の自殺者数は三万一六五五人で、〇九年より約一二〇〇人減りはしたが、十三年連続で三万人を上回った。菅さんがハッパをかけて何もおかしくない。
だが、ひっかかった。昨年は一日平均八七人が自ら命を断ったことになる。政治と行政の力で減らそうと努力するのは当然として、私が気になったのは〈大台〉という単語だった。もともと株式相場の用語で、投資家の目安となる単位だが、転じて金額や数量の大きな変わり目となる数値、桁のことだ。自殺者数も数量には違いないが、相場や経済指数と同列に扱うのはまずい。
〈達成〉も釈然としなかった。三万人を割りさえすればとりあえずOK、というふうに聞こえてしまう。二万人台になったとしても、達成感なんかあるはずがない。語感の問題かもしれないが、瞬間、菅さんの内面をのぞいた気がしたのだった。そんなに無機質に言ってもらっても困るなあ、と。言葉は恐ろしい。
ところで、先日、東京都の猪瀬直樹副知事が〈「言葉の力」再生プロジェクト活動報告書〉という冊子を届けてくださった。猪瀬さんはプロジェクトリーダーである。
冊子のタイトルは〈東京から「言葉の力」を再生する〉だ。猪瀬さんの、
〈最近、若者の「活字離れ」が社会問題になっている。かつては知識欲や好奇心に駆られ、本を手にする若者が多くみられた。その中で感性を育んだり、他国の文化や宗教を理解したり、社会を構成する一員として、自分がなすべきことについて思いを巡らせてきた。
しかし、最近、自分の範囲のことにしか関心を持てない若者が増えている。彼等は社会全体の動きには関心が薄く、気の合う友人などの限られた世界に閉じこもり、無難な生活を送ることを好む。心理的な鎖国状態に陥っている〉
という問題意識から、昨年四月、都庁内に〈「活字離れ」対策検討チーム〉を設置したそうで、その中間報告である。
◇本を読むだけではなく日本語に対する愛着を
昨年十一月には、〈これからの社会で求められる言語力〉というテーマで、猪瀬さんら五人が参加したシンポジウムが催され、報告書に再録されているが、次の発言が印象に残った。
村上隆さん(現代美術家・アーティスト)。
「戦後の日本はアメリカに追従して、〈自由〉という言葉を標榜したが、日本の風土になじんでいない。私の工房では、自由とは正反対の徒弟制度を取り入れて、まず掃除からはじめてもらっている。そうした中で、一人の人間として、自分の社会内ヒエラルキーを理解していく。まずルールを理解することが大切なのです」
北川達夫さん(日本教育大学院大学客員教授)。
「子どもにとって一番残酷な指導の方法は、自由に考えなさい、自由に意見を言ってみなさい、というものだ。そう言われると、考えられる子は考えるが、そうでない子は考えられない。自由に本を読ませた時に、楽しく読むことができる子もいれば、ただ字を追う子もいる。まずは文章の読み方を技術として教えていくことが重要だ」
二人のプロが言っていることは共通している。自由放任で、ただ「やれ」とせっついても効果は薄い。〈言葉の力〉を身につけさせるためのルール、技術を教えることが肝心、ということだ。
南部靖之さん(株式会社パソナグループ代表)。
「活字離れは、単に本を読まないことが問題なのではない。本を読む目的を理解し自分の役割を明確化することで、自ら本を手に取るようになることが大切だ。本を好きでない人に本をたくさん読ませることは酷かもしれないが、自分の言葉で自分を表現するためには、それだけの知識や〈言葉の力〉を身につける必要がある」
そうかもしれないが、うーん。そして、作家でもある猪瀬さん。
「本を読む重要性は以前から指摘されているが、最近十年間は特に〈言葉の力〉の低下が問題になっている。ツイッターやブログなどいろいろな表現活動は行われているが、ちょっと立ち止まって、深刻なテーマに触れた本を読むことができなくなっている。
まずはたくさん本を読んで、他者が自分とどれだけ違うのかを確認できるようになってほしい。まるで鎖国のような気分に陥るのではなく、〈言葉の力〉を養う技術を身につけてもらいたい」
猪瀬さんたちは、〈言葉の力〉の衰えを主として若者世界に限っており、それもよくわかるが、私はいまや日本全体の重要テーマだと思う。先述のように、首相の言葉からして危うく、言葉を大切にしていない。平和ボケ、飽食ボケに次いで言葉ボケだ。
まず本を読む。ぜひとも、そうしてほしい。だが、読んだはずの大人たちの言語力が低下している。なぜなのか。日本語に対する愛着が薄れ、表現が雑になっているのではないか。(サンデー毎日)
杜父魚文庫
7415 「言葉の力」が衰えたのはなぜか 岩見隆夫

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