十四日ころから、東北関東大地震と津波の被害地からの地上の映像が入り、人々の表情と声に接することができるようになってきた。
十五日、自衛隊のヘリに救助されて体育館に運ばれてきた男性は、知人の女性と再会し泣いていた。「おじいちゃんを助けることが出来なかった、すまない、すまない」と謝っていた。男性は、女性のおじいちゃんを励ましながら津波から逃げたが、すぐ後ろにいたおじいちゃんは波にのまれ流されていったという。
おじいちゃんをおいて自分だけ助かったのを女性に謝っているのだ。それに対して、女性はむしろ男性を励まし、助かったことをよかったねといい、慰めていた。
この情景を観て、「日本人て、すばらしいなー」と言いかけたが涙で言えなくなった。
同じ情景を観た。平成十四年九月十七日のことだ。小泉内閣は、北朝鮮からの拉致被害者五人生存、八名死亡という情報を鵜呑みにして、そのまま東京で待機していた被害者家族に伝えた。その時、生きていると伝達された家族は死亡していると伝達された家族の悲しみを察して泣いた。そして、死亡したと伝えられた家族は、「よかったねー」と泣いている生存を伝えられた家族を励ましていた。
今東北では、小さな子供からお年寄りまで、肉親を津波で流され、連絡が取れなくなった多くの人々が嘆き悲しんでいる。
東北の太平洋岸は、悲しみにつつまれている。手を合わし、頭を垂れ、ご冥福を祈り、心の中で頑張ってとお励ましすることしかできない。
しかしながら、この悲しみの中にあって、人は皆、励ましあっている。明るい笑顔をみせて悲しみを語り希望を語っている。
そして、突然、共同生活することになった人々の群れに、おおらかな秩序があり助け合いがある。被災地の同胞は、悲惨の極みにある。しかし、皆、堂々としている。高貴である。輝いている。悲しみの底において日本民族の特性が光っている。
これに反して、ぴかぴかの防災服を着て記者会見に出てくる総理と官房長官は、おどおどしている。彼らは、毎日原子力発電所と核物理学のにわか聴講生になって、三分後に習ったことを記者会見でしゃべることを繰り返している。
記者の前で彼らは多くをしゃべる。しかし、何の決断もしゃべらない。福島原発のことは、専門家が、世界の記者と専門家を集めて、今如何なる事態か、今何をしているのか、日本の世界最高技術の故に如何にしてM9の巨大地震に耐え得たのか、等々、一時間おきに記者会見で明らかにし続ければよい。
総理は決断し、官房長官はその決断を記者の前でしゃべればよい。
その決断とは、今一番必要な食糧と石油を、国家が国費で接収して被災地に運ぶこと。東北地方の、全てのホテルと旅館を国家が国費で従業員とも接収して被災地のお年寄りや体の弱っている人たちの宿舎に当てること。
さらに、今一番緊急を要する被災者の救出に関して、その効率性を強めるため、各現場における救出の指揮命令系統を一元化するため、各現場における自衛隊の連隊長クラスを最高指揮官として、警察、消防、青年団はその指揮の下に効率的に救出作業に当たること。
以上の措置によって、家を失った百万を超える人々の救出と生活と治療に関しては、国家が全責任を負うと宣言することである。
これは、一種の、国家総動員体制である。しかし、これを超法規的にせよというのではない。超法律的になる場合はあろうが、超法規ではないのだ。
憲法六十五条「行政権は内閣に属する」により、直接憲法の規定によって合法的にできる。但し、総理大臣の決断が必要である。
それを、何か!菅総理がここ数日で、決めたことと言えば、十二日早朝の、緊急事態への初動・初期対処の一番重要な時間帯に、福島原発に降りたって三十分もうろうろしたこと、レンホウというのをチョロチョロさせたことと、辻本清美氏をボランティア担当首相補佐官に選任したことだと!
馬鹿も休み休みやれ。家庭の火事でも初期対処が一番重要なのだ。まして原発!その必死の防御の現場に、素人が、のんきに、報告を求めて降り立つ馬鹿が何処にいる。
さらに、レンホウというのは、今一番必要な国家の緊急対策費を「仕分け」とかで大幅に削って得意になっている者ではないか。
菅総理、君はアホか。また、ボランチィアというのは官とは関係がないからボランティアなのだ。それを、分かっているのか。
アレがボランティア担当補佐官なら、「ちゃんちゃらおかしい。馬鹿にするな。アレが現場に出てくれば、俺(私)、ボランティア止める」という人々が全国でどれほどいるか。
菅君、何も決断できないのなら、直ちに総理大臣を辞めろ。
「生活第一」のスローガンで政権にありついたのは貴公ではないか。それを実行しろ。危機における「生活第一」は、手当をばらまくことではなく、その金で先に書いたように、軍隊を運用し国家の強権を行使することによって達成できるのだ。
それを分からない者が総理を続けておれば、国民に惨害が及ぶ。そして、今、及びつつある。
杜父魚文庫
7444 悲しみの底において光るもの 西村眞悟

コメント
西村先生の冒頭記された老婦人と中年男性のシーンは私もNHK TVで拝見した。
月並みな賞賛、悲しみの言葉などを峻拒する荘厳な光景であった(これもまた月並みな言い方かもしれない)。そして真の日本人とは斯くあるものかと深く心に刻み込まれるものがあった。だが、今都会で被災地の人々のことを考えず、食品を買いあさる卑しい人々は日本人ではない。
感情的になってはいけないのかも知れないが、民主党及び菅という集団と個人に人間として深い憎悪、嫌悪、軽蔑を感じる。彼等は日本人ではない。
己の権力の保持のみを願い、命を的にして現場で働く作業員、技術者のことなど考慮の外。
己の思う通りにならずに弱い相手を怒鳴りつけ、ストレスを発散し、且責任からの逃避をはかる菅総理大臣。
レンホー、つじもとなどという日本と日本人に底知れぬ憎しみを抱く人間を、調子外れの省エネ担当大臣、ボランティア担当大臣に任命する。正に市民運動出身者の面目やくじょたるものがある。本当に愚かである。世界に向けての「恥晒し」である。
もう沢山だ。民主党と菅内閣は日本に災厄をもたらす。解散総選挙をやって欲しい。