7457 豚もおだてりゃ木に登る 石岡荘十

未曾有の大震災である。こんなとき物を書くしか能の無い、世にいう“口説の徒“は今何を書く
べきか。
あのM9,0の日以来書かれたものを読むと、総じて、政治記者は政治記者らしく、事件屋は事件屋らしく、それぞれの分をわきまえて識見を披瀝しているように見える。ただ、その中で気になるのは、普段、政権批判
をもって口を糊する人びとの論調である。
震災がらみの政権要人の判断・行動について“平時”の思考パターンで論い、世の中何があろうとぶれず、ひたすら「権力批判こそマスコミの使命」とばかり何かにつけ批判し、足を引っ張る論調を展開している。
日本はかつて、国難に際して当時のマスコミ、新聞が“国策”迎合して、イケイケの世論作りに協力し、国民を戦争に駆り立てる時の政権に手を貸し、煽った“前科”がある。
その反省からか、一転、終戦後は政権批判こそが格好いいと思い込んでいる論者も少なくない。そのほうが新聞も売れるし、と。その傾向は本メルマガでもよく見かける。かとおもえば、核武装、空母建設をけしかけるものも。百花繚乱である。
こまごました、実例をいちいち羅列するのはは避けるが、中には八つ当たり、言いがかり、だから「こんなリーダーのいうことは信じるな」と言わんばかりのものも少なくない。
挙句、尻馬に載った素人が、「いまのリーダーを首にして臨時政府を樹立し、大災害の解決に当たれ」という趣旨の、非現実的な寝言を堂々と披瀝して羞じない、ようにみえるものもある。
東京電力の計画停電の仕方についても、かつて個人的東京電力に冷たく扱われた経験まで持ち出して、「こんな会社は信用できない」と断じている。お門違いもいいとこだ。
どんな企業体も、こんな大震災を想定して、一旦緩急、いささかの躊躇も混乱もなく捌き切れるところはまずないだろう。
被災地の人びとの苦難をおもえば、政局がらみの批判をオウムのように繰り返して紙面をうめている場合ではないだろう。まして、停電の時間をもっと早く告知すべきだとか、東京電力の体質がどうとか—。
“国難”を前にして、枝葉末節の物言いは、被災者に何の足しにもならない。私憤に賛同を求めるのは筋違いというものである。
ここはひとつ、発想の転換して“未曾有の事態”を乗り切らねばならない。一国のリーダーにはまことに失礼だが、ここで表題の諺(?)を思い出した。「豚もおだてりゃ木に登る」で、政治のプロにお願いしたい。
いまここで「1秒でも早くやめろ」だの、解散総選挙だの声高に言い募っても、いま一番どん底におかれている被災者にとってはなんの助けにもならない。政局がらみのごたごたを聞きたいとも思っておられないだろ
う。
子育ては「褒めて育てる」ともいうが、長い政治取材の経験をいまこそ結集して、おだててブタに木を登らせようではありませんか。おだて、くすぐり、バカ力を引き出すノウハウは、ご存知のはずだ。
それで、いつになるか私には見当もつかないが、秋至れば存分にお書きになればいい。
戦前、戦時中に当時のメディアは一億国民を煽り、戦場の駆り立てた。いまその勢いの方向を逆噴射して豚をおだてることで、被災者を一刻も早く平穏な生活に戻すことにだけ叡智を傾けてほしい。
私事にわたるが、敗戦の年、当時中国・天津で仕事をしていた父が関東軍に徴用されて蒙古にある軍需工場で働いていた。私は国民学校4年生だった。天津で父の帰宅を待ったが、1ヵ月、音信不通だった。家族は離れ離れになった。危うく残留孤児となるところだった。
敗戦後一家は軟禁され、半年後、命からがら引揚げてきた経験がある。だからわかる。
家族の消息さえ分からない、被災者を1日も早く温かい畳の上に帰すために、豚をおだてよう。
杜父魚文庫

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