リビア「飛行禁止区域」設定という国連決議に米国が急傾斜した背景。オバマを囲んだ女三人が強引に推進、男三人が慎重だった。
ボブ・ゲーツは終始リビア空域への飛行禁止区域の設定には反対してきた。空母二隻が必要である上、長期の作戦となるからだ。
ゲーツ国防長官は言った。「ましてアラブ諸国の賛成を得られないで米国が介入すれば、イスラム社会全体を敵にまわすことになるかも知れない」
統幕議長のミュレンもほぼ同意見である。そもそも米国は今、イラクとアフガニスタンに深く関与しているため軍事余剰力はない。陸軍戦闘への関与はリビアではあり得ない。
オバマ大統領もきわめて慎重だった。リビア介入は避けたいというのが本心だった。国連での決議を急がせる政治環境もなかった。日本で起きた巨大地震への見舞いが優先した。
ところがホワイトハウスが一夜にして方針を変えた。カダフィに強硬な態度にでたのだ。
カダフィは米国が介入することはないと高をくくって反政府勢力が占領した地域へ復讐戦を挑んでいた。徹底的にたたきのめすために精鋭軍、傭兵軍団を送り込み、空爆さえためらわず、多くの市民が巻き添えになった。
ヒラリーは巴里にいた。国連大使のライスはニューヨークである。スーザン・パワー補佐官はNYで国連安保理事会の票固めに動いた。オバマ大統領のワシントンと三元中継の会議が始まった。
▼外交の舞台裏では
強硬派は女性三人だった。ヒラリーと、ライス国連大使とパワー補佐官である。
彼女らは人権活動家でもあるが、無辜の民が独裁者にむざむざ殺されることに我慢がならない。感情が先に立つのは女性特有である。
議会で賛成を示したのはジョン・ケリー上院議員だった。この民主党の大物議員が動けば議会の説得は固い。それにしても、カダフィ攻撃へと豹変した米国外交。その強い動機となったのはヒラリーの夫君クリントン大統領時代に、柔軟すぎた外交の隙を突かれ、ルワンダの大虐殺が起きた。ライス国連大使は当時、クリントンの安全保障担当補佐官だった。ルワンダの錯誤を悔いた。
国連決議の票固めは南アのズマ大統領の工作から始まり、オバマは電話をかけて口説き、ナイジェリアが米国案にのると、すぐにポルトガルとボスニアがしたがった。
慎重論はボブ・ゲーツ国防長官、ドニロン安全保障担当補佐官、そしてブレンナン・テロ対策担当補佐官だった。男三人組である。
ゲーツは「アラブ諸国の賛意が条件であり、そもそもリビアに米国は死活的利益がない」と叫び、ブレンナンはカダフィに反対する武装勢力は、「アルカィーダと繋がっている」と指摘した。
国連の舞台裏で「アラブ連盟」が国連決議に賛同を示し、かれらも軍の参加を表明した。ゲーツの反対理由は崩れた。
彼らもまた、前向きに方向が変わったのだ。最大の理由は、カダフィ軍がまたたくまに反政府勢力を軍事的に粉砕しはじめ、虐殺が迫ったからだった。
オバマは国連決議成立のあと記者会見して、「これは交渉の余地がない」(つまり最後通告である)と豹変した立場を示したのである。フランス大統領はただちに軍事行動を開始するとした。
3月19日、巴里の大統領宮殿にクリントン、サルコジ、キャメロン英首相、EU幹部、アラブ連盟、国連事務総長、そして国連決議には棄権したドイツのメルケル首相も飛んできて緊急会議が始まった。これほどの緊急性を帯びての軍事作戦を協議したことは、歴史的にもめずらしい。
直ちにフランス空軍はコルシカ島へ集結し、一番機はリビアに侵入、戦車を攻撃した。米国はトマホーク巡航ミサイルをリビアのカダフィ拠点に発射した。リビア爆撃が始まった。
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川口マーン惠美さんからドイツ報告 第二弾!
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川口マーン惠美さんからドイツ報告
引き続き、福島原発事故に関するドイツマスコミの報道の酷さにについてご報告。エルネオス4月号にも寄稿したが、ドイツのマスコミは、ほとんどあり得ないほど低い確率の最悪の事態を、さも、明日起こるように報道し続けている。
それによれば、制御不可能となっている原発は、まもなく大爆発を起こし、日本全土は放射能に汚染されるらしい。いや、放射能漏れはすでに高い数値を示しており、風向きによっては東京の住民も危ない。
そんな報道を受け、ドイツの薬局でヨードが品薄になっている。福島発の放射性物質は、東京から風か飛行機に乗って、いずれドイツにも上陸すると信じている人がいるのだ。もちろん、あり得ることだ。チェルノブイリのときだって、大火災で舞い上がった死の灰は、ドイツの草原に降り注いだのだから。
これまで快適な東京で寛いでいたドイツ人特派員は、地震のあと、津波の現地に飛ばず、東京のスタジオから実況中継。これなら別にドイツにいても同じだ。
しかも15日からは、その東京も脱出し、大阪へ移った。そして、脱出先の大阪から、テレビ第二放送の特派員は、「東京の住民がこぞって脱出を始めれば、南へ行く主要鉄道は一本しかなく、幹線道路も数少ないので、未曽有の大混乱が起こる」と、地図で示しながら予言してくれた。
哀れな3700万の都市圏の住民が、かように貧弱な交通網しか持たないとなれば、どんな悲惨な事態となることか。そうするうちに、ドイツ大使館も、東京から大阪へ引っ越しした。
テレビニュースの画面には、人々が駅で長い行列を作っている映像。そうか、東京では困難な脱出がすでに始まっているのか。しかし、その背景には「吉祥寺駅」という文字(ドイツ人には読めない)。つまり、映っていたのは東京脱出を図っている人々ではなく、計画停電の後、電車の運転再開を待つ帰宅途中の人だったのだが、そんなことはテレビの前に息をのんで座っているドイツ人には想像もできない。ただ、特派員はもちろん知っていたはずだ。
誤解を誘発するための報道は他にも多い。16日、大手新聞『ディ・ヴェルト』の一面には、マスクをした日本人がまっすぐに正面を向いている写真が載った。
大見出しは、「死の恐怖に包まれる東京」。私の見る限り、これは通勤途上、大きな交差点で青信号を待っている人たちだ。目を見開いているのは恐怖のためでなく、信号を見ているに違いない。それにしても、このマスクが放射能予防でないことを、東京の特派員が知らないはずはない。そもそも日本人は、私が子供の時からマルクをしていたのだ。ただ、ドイツに住むドイツ人は、そんなことは知らない。だから彼らにとって、これほど不気味な写真はない。
それに追い打ちをかけるように、宇宙服のような防御服を着た人が、動かない被曝者を担架で運んでいる映像や、被曝検査を受ける不安そうな人々の表情が、何度も何度も映し出される。
17日、私は予定通り、SAS(スカンジナビア航空)でドイツへの帰路についた。コペンハーゲン経由だ。ルフトハンザとスイス航空は、すでに成田就航を取りやめていたので、今回、この2社を使っていなかったことはラッキーであった。
成田空港の出国審査場では、再入国手続きをする中国人の長蛇の列ができていた。そして、それを取材する中国のテレビチームの姿。中国政府は、自国民に危険な日本からの脱出を促し、成田空港へのバスまで提供していた。出発ゲートでは、マスクをかけた屈強な欧米人を見かけた。花粉症でも風邪ひきでも、今まで絶対にマスクなどしなかった人たちだ。
私の乗った機は、突然、北京に立ち寄った。北京で給油し、点検し、機内食と水を積み、乗務員の交代もした。成田では、非番の乗務員を降ろさず、機内の清掃さえなかった。私たちは、掃除されていない飛行機に乗り込み、中国の安全な機内食と水をあてがわれたのだ。そして、コペンハーゲンでは、無事に生還した私たちを、テレビカメラが迎えてくれた。
ようやく自宅に戻ったら、ありとあらゆる親戚や友人から、安否を気遣う電話が入っていたので、片っ端からお礼の電話をした。私の声を聞き、感極まって泣きそうになる人もいたので、よほど心配してくれていたに違いない。
「東京では不安だったでしょう。ドイツに帰って来られて本当に安心したでしょう」と言われ、「東京は電力不足で混乱はしていても、放射能汚染でパニックになっている人はいない」と答えると、なぜかいきり立つ人もいた。自分たちの方が、私よりもよく事情を知っていると思っているのだ。何も知らず、事態を極度に矮小化した日本政府の発表を鵜呑みにしている私に、イライラしていたのかもしれない。「本当に恐ろしかった。やっと脱出できて、ホッとした」と言えば、皆、満足してくれたに違いない。
しかし、私は1カ月余の滞在の後、予定通り帰宅しただけなのだ。
予定の便がキャンセルになると、あとが面倒だから、帰宅できたことは大変うれしいが、放射能から逃れてきたわけではない。そこで、「今の時点で、広範な汚染は起こり得ないから」と言うと、ある人は興奮気味に、「なぜそんなことが分かるのよ。放射能は漏れていると日本の政府も言っている。大爆発の可能性も・・」と解説してくれ、また、ある人は、私が認識不足で、放射能の怖さを理解していないと思ったのか、「とにかく、あなたが戻ってきてよかった」と、私の言葉を無視して話を終えた。
いずれにしても、皆がテレビや新聞で仕入れた「事実」を私に教えようとし、チェルノブイリの例を挙げた。相手は私の持つ認識や情報が間違っていると思っているので、反論したところで、らちが明かなかった。もっとも、ドイツ人相手に議論をしたところで、普段からたいてい私に勝ち目はないのだが。
一方日本でも、最悪の事態ばかりを予言する人たちがおり、それを信じてさらに広めていく国民もいる。
日本政府は、「健康に影響を及ぼさない量」と言うと、不安に思っている人々を刺激するので、それさえ言いにくいのが現状ではないか。しかし、それを日本政府が声を大にして言わずに、誰が言ってくれるのだ。
さらに私は、政府が、起こる可能性がゼロに近いような事象を敢えて言わないのは正しいと、今でも思っている。
そうでなければ、ドイツの無責任報道と同じく、国民を恐怖に陥れるだけだろう。また、海外で広まっている間違った情報をもっと積極的に訂正しなければ、事故の収拾した後まで、経済的な損失が残る可能性がある。政府はそれもしっかりやってほしい。
いずれにしても、事態の収束のために現地で努力している日本人の英知と勇気、そして、献身的な行動力を信じたいと、私は思っている。
杜父魚文庫
7475 ホワイトハウスが一夜にして方針を変更 宮崎正弘

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