7487 緊急援助隊の息子が帰還 平井修一

東京消防庁から電話があった。「ご子息の件ですが・・・」カミサンは最悪の場面を想像した、という。「無事、気仙沼に着きました」。ああ、よかった。
その息子が緊急援助隊の5泊6日の任務を終えて3月19日、無事帰京、20日に慰労会を開いた。
――ご苦労さん。大変だったな。遺体の捜索はどうだったの?
「発見できたのは4体だけだった。ほとんどが土砂に埋もれているから、せいぜいが1割くらいしか発見できない。復興で土砂を片付けるときに遺体が出てくるだろうね」
――遺体の状況は?
「気仙沼は火事が多かったので、まるこげだった。男か女かも分からないし、子どもか大人かも分からない。上半身が切断された遺体もあったが、幹線道路を通すためにブルドーザーを急いで走らせたから、そういうことになったのだろう。いちいちチェックしてはいられない」
――町の臭いは? 腐臭はした?
「火事場とドブの臭いがした。寒いから腐臭とかウジはなかったが、それにしてもすさまじい寒さだ。隊員の中には凍傷を患ったものもいる」
――東京の部隊は寒さへの抵抗力がないからな・・・
「寝袋の中で裸足でいると凍傷になる。零下5度くらいだから東京の部隊は耐性がない。噛みつくどころじゃなく、“殺しにかかる”ような寒さだ。寝袋の中で自分の手足を抱えて凌ぐしかない」
――5泊6日は妥当か?
「もう限界。3泊4日で十分だ。食糧も不足しているから1日に菓子パン1個という日もあった・・・」
――痩せたな? 何が食べたかった?
「3キロ痩せた。撤収の途中で高速のサービスエリアでカツカレーを食べたが、温かい普通の料理のありがたさに感動した。避難所の人々は温かいご飯と無縁の生活を続けていると思うと申し訳ない気分だが・・・」
1週間ぶりの風呂では、頭を洗うと茶色い湯が流れたという。避難民はその湯とも当分は無縁だろう。救援、復興を急がなくてはならない。
杜父魚文庫

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