津波の夢をよくみた。目に前に大津波が迫っていたが、身体が凍り付いた様に動かない。私の家系は奥羽山脈の懐に抱かれた山村で三百年も過ごしているから津波とは縁がないはずである。
不思議であった。自分の家系を調べている中に、常陸国(茨城県)から岩手県の南部領山田村に来た浪人ものがいることが分かった。高橋繁・西和賀前町長が旧沢内村の教育長時代に、盛岡の岩手県立図書館で全五巻の「参考諸家系図」を調べていたら、南部藩士・古沢氏の出自が「生国常陸の人なり、浪士にて南部領山田村に来たり、北田村に移る」とあるのを見つけた。
その生国常陸の人の名は古沢清右衛門、しかも「その末裔が宝暦年間に沢内代官となる」と記載されていることを発見して、「これは沢内・古沢家と深くかかわっているのは間違いない」と手紙で教えて貰った。沢内代官の名は古沢長作。宝暦14年(1764)から明和4年(1767)まで「沢内通御代官被仰付」と記録に残っている。
そこで津波の話に戻るのだが、この古沢清右衛門の一族は江戸時代に山田村で津波に襲われたのではないか。3月11日の警察庁緊急災害警備本部によると、陸前高田市では、一部の地域が水没している。山田町では、津波による多数の死者が出ている・・とある。
つまりは私のDNAに津波の恐ろしさが刷り込まれていたので、津波の夢をよくみたというSF小説まがいの話である。
もうひとつ、よくみる夢がある。旅館に泊まってトイレに行くのだが、どこのトイレも大便がうづ高く、やってあって用が足せない。夜中に大声をあげて女房に起こされたりする。
これは十年以上になろうか、シベリアの奥地を旅行して、町役場のトイレで実体験している。粗末な戸外のトイレに行ったら、凍った大便がうづ高く残っていて、それを鉄の棒で崩してから用を足した。それ以来、この夢をよくみるようになった。
毎日新聞が宮城、岩手、福島の避難所運営責任者からアンケートをとっているが、被災者の心身の状態が日々悪化していることが浮かんだ。医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い。着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で衛生面にも課題がある。先行きが見えないこともストレスの原因となっている。
長引く避難生活で体調を崩す人が目立ち、各地の避難所では、インフルエンザ患者も出始めている。断水で水が流せず、トイレが不潔な状態になっている避難所も。宮城県東松島市の避難所では、足の悪いお年寄りは廊下の簡易トイレで用を足さざるを得ない状況だという。
地元の岩手日報は11日の発生当初から自宅で生活していた住民が、車両燃料と物資の不足で食料を調達できず、停電で必要な情報を得られないなど生活が窮迫する課題が浮上していると報じている。
避難所を頼ればいいが、既に避難所ごとの「自治」が進み「いまさら顔を出しにくい」と近寄れない人が、県の災害対策本部も把握しきれないほどいる。その一方、新規利用が続々と増えパンク寸前の避難所もあり、各市町村の対策が急がれる・・・。
これは新しい問題だ。全国から集まる救援物資を地域に洩れなく配布するには、通常の倍以上の行政能力が必要になる。ボランテイアの効率的な管理も求められる。夢ばかりみているわけにはいかない。
杜父魚文庫
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