7537 強兵、富国、そして「大震災」のあとは 岩見隆夫

この国危ういな、と思ってみたり、わが日本人の底力はまだまだ大したものだ、と感心したり、心揺れる毎日だ。不安のレベルとしては、六十五年前の敗戦直後に似ている。しかし、あの時はどん底からの再出発だから、廃墟のなかからとはいえ、目標も手段もむしろわかりやすかったのだ。
今回は一種、始末の悪さがある。生活程度は格段に豊かになっているから、それだけピンチに対する抵抗力が弱い。豊かさの落とし穴を思い知らされることになった。敗戦時は原子力発電所なんかなかった。放射能禍の心配はない。テレビもなかった。テレビのお陰で情報伝達は圧倒的に早くなったが、一方、テレビのせいで、不安、不満や混乱の拡散もあっという間だ。
こんな理屈を言っている時ではないかもしれない。とにかく、東日本の被災者のみなさんへの追悼、お見舞い、激励、連帯は何度繰り返しても、し足りるものではないのである。しかし、小さい怒り、大きい怒りもふくらんでいる。言いたいことをいくつか--。
まず、東京電力という会社はひどい。首都圏の計画停電について、私たち住民は即座に全面協力の姿勢をとった。こんな時だから、不便に耐えるのは当然、被災者の苦痛を思えば文句など言えるはずがない、とだれもが素直に応じたのだ。
ところが、東電の対応はめちゃくちゃである。私の体験で言えば、居住している静岡県熱海市は、停電地域のグループ分けをみると、第二、第三、第五の三つに入っていて、私の家(網代)がどのグループなのかわからない。何度かテレビを通じ実施の予告や決定があり、市の広報車も周知徹底させる作業を繰り返してきたが、これまで一度も実施されたことはない。東電側は、
「予告はしても、実施しないですめばその方がいいでしょう」
という態度で臨んでいるとしか思えない。しかし、それはとんでもない錯覚、思い上がりだ。予告のたびに、ロウソクを用意したり、仕事の段取りなど、すべての日程について時間調整をせざるをえない。個人生活ではその程度ですむが、企業・メーカーは大変な犠牲を強いられる。ある町工場の経営者は、テレビの画面で、
「やっと東電と問い合わせ電話がつながったが、『(停電は)やらないかもしれないが、可能性はあるので、いつあってもいいように準備しておくように』と言われた。こんな時だから計画停電は賛成だが、曖昧なことではなく、いったん決めた日時は守ってほしい」
と言っていた。まったくその通りで、予告があれば、実施の有無にかかわりなく、実害が発生していることがわかっていない。
交通機関もJR伊東線が不通になったままで、大変不便している。東電の節電要請でJR東日本が止めているのだろうが、止まっていない線もある。計画停電もそうだが、何を尺度に決定しているのか、について情報を日ごろの利用者(お客)に提供するのは当然すぎることである。
ところが、それができなくて、混乱、不満が広がっている。電気を供給してやっている、あるいは汽車に乗せてやっている、という古臭いお上意識のようなものが、ベースにまだあるのではないか、と私は思っている。
情報不足という点では、福島第一原発騒動も歯がゆいことおびただしい。ことに枝野幸男官房長官の度重なる記者会見だが、当初ほとんど意味が理解できなかった。国民が一番知りたいのは、危険の度合いだが、肝心のことがさっぱりわからない。
枝野さんは東北大法学部から弁護士のコースだから、原発の技術的なことはシロウトで当たり前だ。それを専門用語を使いながら話すのだから、にわか勉強で核心を理解していないのではないか、とだれにも見抜かれる。ひどい話だ。日本科学者会議が十六日、
「政府と東電は事故情報の生データを速やかに公表し、評価を専門家にゆだねるべきだ」と声明を発表したのも、うなずける。
知り合いの国会議員から電話が入り、「政府が決めた避難範囲はおかしい。イギリスの新聞には三百キロが適当と書いてあるそうで、となると東京も危ないですよ。気をつけてください」
などと言う。情報不足は困るが、何を信じたらいいかわからない情報不信がもっとも危ない。
◇揺らぐ日本の進路 問われる道筋の選択
ところで、東日本大震災は大津波、福島原発の爆発と連鎖的に重なり、この大型の受難が今後の日本にとって深刻な節目になるのは避けられないだろう。
私の七十五年の人生で、よくも悪くもこの国を揺さぶった出来事は、敗戦(一九四五年)、六〇年安保騒動(六〇年)、東京オリンピック(六四年)と今回の大震災の四つである。その前に、関東大震災(二三年)と二・二六事件(三六年)があるが、実体験がない。
大震災と国家経営の方向はどこかで結びついているような印象がある。菅直人首相は一月の施政方針演説で、「私が掲げる国づくりの理念は、〈平成の開国〉です。日本はこの百五十年間に〈明治の開国〉と〈戦後の開国〉を成し遂げましたが、私はこれらに続く〈第三の開国〉に挑みます……」
と訴えたばかりだ。明治維新(一八六八年)以降の日本は強兵路線をひた走り、関東大震災の復興ではずみをつけ日中戦争、第二次世界大戦へとのめり込んでいく。敗戦後は一転して富国路線を驀進した。六〇年安保でギアを切り替え、東京オリンピックが成功のアカシになる。しかし、オリンピックから約半世紀、いま、日本の進路は揺らいでいる。たまたま地震発生と同じ三月十一日、四選出馬を表明した東京都の石原慎太郎知事は、二度目の東京五輪について、
「そりゃあ、やりたいよ。しかし、いまの日本人はだめだ。総力戦ができない。強い意志がない。我欲が入りすぎて何もできない」
と言っていた。当節の国情を巧みに切り取っている。強兵で挫折し、富国も失速して遭遇した大震災という〈国難〉をバネに、どんな道筋を選択するか。それが問われている。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

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