7541 冷たい軍用糧食の缶詰や乾パンで働く自衛隊員 クライン孝子

日本が遭遇することになった今回の地震・津波・原発三重事故における日本国民の血の滲むような復興活動に携わる、日本のメデイアでは報道されない陰の奉仕活動に関して「頑張れ日本」の水島社長から直接お聞きした事例を先ず最初に記述いたします。
1)不思議なことというか、この人達が、実はわれわれが選んだ国民の代表かとつい怒りガこみ上げてしまうお話。
イ)水島総】物資不足、NHK生放送での悲痛な訴えと直後の実態  動画
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=962Ii-7DIA0
での水島社長のご指摘はさておき、今回の地震津波において、被害を受けた岩手といえば小沢一郎衆院議員の地盤。なのに、一体彼は今、何をしているのだろう。本来なら、被害者の身になって、ドロにまみれながら、復興に手を貸すべきではないでしょうか・
ロ)これは他の国会議員にも該当すると思うのだが・・・、
2)その一方で、この困難な時期、懸命に力をあわせようとする感動的なお話も伺いました。
一つは 天皇・皇后陛下矢ご一家の温かいのお心遣いに胸が熱くなるお話です。この些細なお心遣いで国民がどれだけ励まされたことか!
那須御用邸の風呂を開放 両陛下のご意向で
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110324/imp11032415490001-n1.htm
御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め
http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250533.html
二つは、
イ)いわき市の山元町では自衛隊方々が被災の皆さんのために自分たちの食事はかんぱんと缶つめだけで済ませ、ご飯やトン汁など暖かい炊き出しを黙々と行なっていること。
(参照:「救援する側の倫理」日本文化チャンネル桜代表 水島 総
三月二十二日から二十三日に、宮城県南部の海岸地帯山元町に救援物資を届けて来た。 前回は福島県の原発から四十キロ圏内付近の老人ホームを中心に救援物資を届けたが、今回はこれで二回目になる。
山元町は人口約一万六千人の町で、その約三分の一の住民の安否が未だ分からない。巨大な津波によって、海岸線付近の住居は土台を残して大部分が消失している。大地震の後の津波警報が発せられたが、これでは直ぐに逃げても間に合わなかったろう。
津波の泥水が引いていない海岸地帯は、瓦礫と破壊された家屋の木片の塊が延々と続いていて、目を覆うばかりの惨状である。常磐線坂元駅も完全に破壊され、ホームの左右にある鉄道レールがホームの端で線路から陸側に大きく折り曲げられて捻じ切られ、もう一方のレールは、百数十メートル離れた場所で発見された。
そんな凄まじい状況の中で出会うのは、自衛隊の人々がほとんどだった。この付近に駐留、展開しているのは、愛知県から来た陸上自衛隊第十師団である。
彼等は瓦礫を片付け、御遺体を捜索し、それを収容する。泥流と流出物で埋まった道路を整備し、車が通れるようにする。小中学校を中心に集まっている避難民の食事、給水、医療、風呂の世話等で、文字通り、不眠不休態勢で救援活動に励んでいる。
同時に、迷彩色の野戦服姿の自衛隊が来たという安心感で、人々の人心安定にも貢献している。
私たちは山元町の山元中学(避難民約二百五十人)、山下中学(避難民約六百三十人)に救援物資を届けたが、そこの炊き出しサービスを受けている住民から、第十師団の隊員達について、驚くべき話を聞いた。
朝と夕に二回、避難所の人々に自衛隊は温かい御飯と豚汁などの食事を提供している。
温かな食事は身体を温めるだけではなく、心も温めることが出来る。皆さん大変、喜び、感謝している。素晴らしい事だ。
しかし、食事を提供する側の自衛隊員たちは何を食べているのか。私は自衛隊員たちも同じような食事をしているものとぼんやり考えていた。
事実は全く違った。
自衛隊員たちは冷たい軍用糧食の缶詰や乾パン等を食べていたのだ。温かいものはまず、被災された人々へというボランティア精神が見事に貫かれていたのである。
風呂のサービスもやっと始まったが、愛知県の師団らしく、二つの風呂のテント入口には「尾張の湯 男湯」といったのれんが掛けられている。この風呂のサービスも被災住民最優先で、十日以上風呂に入れなかった人々が口々に「生き返りました」と、心底から言っているのが分かる。
自衛隊員たちは風呂にも入らず、連日、泥まみれ汗まみれで、黙々と働き続けている。
風呂テントの前にいた若い女性隊員は、多くの国民の為に活動出来て喜んでおりますと、笑顔で健気に話してくれた。
被災された家族を持つ自衛隊員も多いと聞く。それでも彼等は「任務」として、救援活動に励んでくれている。自衛隊の救援活動は、もちろん自衛隊員としての「仕事」であるが、それだけでこのような辛く困難な救援活動を続けられるわけがない。何よりも国民の生命と生活を守ろうとする使命感と誇りが彼等の気持ちを支えている。
マスコミもやっと自衛隊の活躍をしぶしぶ報道し始めたが、それでも反自衛隊姿勢の本質は変わっていない。)

杜父魚文庫

コメント

  1. onesuke より:

    ありがとう。そう感じていただいているのは、とても嬉しく思います。派遣されている息子にも見せてやりたい。

  2. 通りすがり より:

    私の親戚にも、自衛隊員がおります。
    愛知県の師団に所属しており、今回は宮城県に派遣されておりました。
    ひょっとすると、クライン孝子さんと何処かですれ違っているかも知れませんね。
    自衛隊を「暴力装置」と言った馬鹿な官房長官もいましたが、今回、自衛隊の献身的な活動を、知らせてくれてありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました