7553 エッセイ 「日本」と外国人 川口マーン惠美

今回の原発事故によるドイツ人の日本引き揚げは、あまりにも迅速だった。13日にやって来た41名の大救助隊も、15日には救援活動を停止し、あとはドイツ大使館の大阪への引っ越しを少し手伝って、19日にはしっかりフランクフルトに帰還。
ドイツ大使館は17日から大阪の総領事館に間借りしているし、BMWとフォルクスワーゲンにそれぞれ40-50人いたドイツ人社員も、あっという間にドイツに戻っていった。
在日ドイツ大使館のホームページでは、今でも首都圏、東北、北海道、山梨、長野、静岡、新潟に居るドイツ人に、その地を離れるよう警告を出している。「現在のところ差し迫った危険はないが、状況が悪化する可能性があるから」ということだ。
大使館員は、自分たちが大阪にいるので、そう言わないと辻褄が合わないということもあるだろう。ただ、ホームページの終わりには、「日本の放射能の安全基準の数値は、ヨーロッパのそれよりはるかに厳しいものだ」ということも赤字で書いてある。私の知人も、そんなわけで、帰国はしなかったが九州にいる。
昔、イラク・イラン戦争の時、バグダッドにいたことがある。1980年代の半ばだ。3月になると、春の大攻勢といって、イランが国境のところからバグダッドにミサイルを撃ち込んできた。イラクの首都バグダッドは国境から100キロぐらいしか離れていないので、ミサイルはちゃんと届く。
イラン軍は、おそらく発電所とか政府の中枢、あるいはサダム・フセインの宮殿などを狙っていたのだろうが、精度が悪いのか、腕前が悪いのか、ミサイルは必ずとんでもないところに落ちた。当時は、バグダッドには外国人がまだ多く住んでおり(ドイツ人学校や日本人学校も存在した)、三月は彼らにとって恐怖の月となった。
当時、ミサイル攻勢が始まると必ず、日本企業は家族を帰国させたり、あるいは、安全な周辺国やヨーロッパに移動させたりと、避難の対応が早かった。それに比べてドイツ企業は、社の命令というものがなく、家族の避難は個人の判断に任された。そこで、帰りたくない子連れの家族などが、よく、私たちの住んでいた郊外の砂漠のキャンプに住まわせてくれと頼みに来たのだが、帰国しない家族の数は結構多かった。それ以来、ドイツ人はすぐには逃げ出さない人たちだという印象が、私の心に焼き付いていた。
そんな事情もあり、私は、今回の彼らの逃げ足の速さには、もう一度驚いたのだが、当たるも八卦、当たらぬも八卦のイランのミサイルよりも、その場にいるだけで全員被曝してしまう放射線は、やはり恐ろしさが比べ物にならなかったのだと思う(ちなみに、そのイランが今や原発を手にしたのだから、考えてみると、二重に怖い)。
さて、ドイツ人、あるいは外国人が帰国してしまったことについて、「もう、あんな国の車は買うものか」とか、「ひきょう者め」などという反応を見せる日本人がいたことにも、私は少しびっくりした。外国人がすぐに逃げるのは、当たり前のことだ。だって、外国人なのだから。
彼らが、出先の国で危険に甘んじたり、人柱になったりする理由は一つもないだろう。私だって、フランスで原発事故が起こり、ドイツの空気や水も、ひょっとすると汚染されるかもしれないとなったら、ドイツ人と運命を共にするのは御免だ、さっさと引き揚げようと思うに違いない。
それに比して、国民は逃げられない。大災害が起ころうが、戦争になろうが、国と運命を共にするしかないのが国民の宿命だ。日頃は、人類みな兄弟などと言っていても、非常時には事情は変わり、諸外国は自国民救出に急行し、外国人はあっという間にいなくなる。そういう意味では、今回、自分の国は自分たちで守るしかないということが明確になって、「人類みな兄弟派」の人たちは、少し目が覚めたかもしれない。つまり、運命を共にすることを(たとえ嫌々でも)受け入れるしかないという宿命の感情が、言いかえれば、国家への帰属意識なのだろう。
もっとも、国民の中には、自分だけ逃げだそうと思っている人もいるようだ。先日、ある原発反対論者が、「娘と孫にパスポートを取らせました」と語っていたが、それを聞いた私は、ベルリン北部にあった秘密の核シェルターを思い出した。
1980年代の初め、当時の東独の独裁者ホーネッカー書記長が、自分だけが助かるために、巨額を投じて作らせたものだ。原爆投下の二週間後、放射能が弱まったら、彼と夫人はそこから素早く抜け出して、特別車で空港へ行き、モスクワに高跳びするというシナリオだった。放射性物質が飛んできたら、自分たちだけ外国へ逃げるというところが、まさに前述の原発反対論者と同じアイデアだ。
もしも、このシナリオが現実となっていたとしたら、ホーネッカーは生き残り、臣民を持たない独裁者となっていたはずだが、前述の原発反対論者とその家族は、どこかの国の難民になるのだろうか。
ただ、告白するなら、そんなことを考えている張本人の私がドイツにいるというのが、大変心苦しい。ドイツへの帰宅は、地震の一週間後だったが、脱出という意識は皆無だったにも関わらず、結果的には自分だけがホクホクと安全地帯に逃げたようで、とても居心地が悪い。
とくに、四千万の首都圏の市民がまもなく汚染でやられると信じているドイツ人たちは、なおのことそう思っている。
昨日もまた、「安全な水のあるドイツにいられて、あなたは幸せですね」と言われ、少なからず傷ついた。彼らの目に映る私は、東京の住民が危険に晒されながら脱出できずにいる中、一人ドイツに戻って来られた果報者なのだ。「違う」と心の中で叫びつつ、「でも、言ってもわからない」と思い直して、口をつぐむ。
ただ、今回の事件で初めて自覚したが、運命を共にしなければいけない状況が本当に来たなら、私は日本国とにしたい。こういうケースは、国際結婚としては失敗例に属するのかもしれないが、若気の至りにそこまで責任は持てない。
昨日27日は、私の住むバーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙だった。戦後58年間、ずっとCDU(キリスト教民主同盟・中道保守・現メルケル首相の党)の牙城であったが、それが覆り、なんとこれから緑の党が州を統治する(CDUは最高得票だったが、二位の緑の党と三位のSPD〈社民党〉が連合して与党の座を奪った)。
青天の霹靂とはこのことだ。
大雪崩の原因は、もちろん福島原発の事故だ。三十年間、原発廃止を唱えてきた緑の党の、この二週間のはしゃぎようは目に余ったが、どうも運気は今、彼らの手にあるようだ。しかも今年は、ベルリン、ブレーメン、そして、メクレンブルク‐フォーポメルン州(メルケル首相の選挙区)の選挙が続く。福島の原発は、ドイツの政治地図を塗り替えてしまうかもしれない。
杜父魚文庫

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