マグニチュード9.0の巨大地震、いかなる予想をも超えた巨大津波、原子力発電の危機──人類が経験したことのない最悪の三重の悲劇は、天が日本国に与え給うた試練ではないか。
万単位に上る人々、誠実に精一杯生きてきた多くの人々が犠牲となったことは、言い知れぬ悲しみである。被災者に限りない連帯の思いを寄せ、人々の犠牲をムダにしないためにも、私たちは文字どおりこの未曾有の試練を立派に乗り越えなければならない。
今回のような大規模な天災を防ぐことは不可能である。しかし天災が人間の力を超えた抗いがたいものであるとしても、天災に対処して犠牲を最小にとどめることは人間の力の範囲内である。政治と国家のありようが問われる理由がここにある。その観点から東日本大震災への国家としての取り組みを私たちは再度考えなければならない。
政府は史上初めて緊急災害対策本部を設置し、菅直人首相を本部長とした。これは非常時に全権限を首相に集中させるもので、地方自治体に対しても経済界に対しても、首相が指揮発令する権限を与えられている。にも拘わらず、首相はそうした国全体で危機を乗り切る力をまったく発揮していない。
初代内閣安全保障室長の佐々淳行氏は、阪神淡路大震災のとき、村山富市首相がいったんはこの緊急災害対策本部の設置を考えながら、「戒厳令のようなことはしたくない」と言って取りやめたと語る。それほど強い権限を集中させる対策本部を今回、首相が立ち上げたことは評価する。
首相に国家指導者としての識見と能力が備わっていれば強大な権限は生きてくる。だが、日本国の浮沈がかかる最も深刻な危機に直面したこの期に及んで、菅首相と民主党執行部は責任転嫁と自己宣伝に走っている。このような識見、能力のない指導者が強大な権限を持つ場合、その存在はかえって国家の危機を招くのであり、現に、政府の打つ手はすべて後手に回っている。菅首相は結局、村山氏と同類である。
首相は地震発生から5日目の3月15日午前5時35分、東京電力本店の対策統合連絡本部に出向き、3時間あまりとどまった。総指揮官が緊急災害対策本部を出て最前線に出かけるとはどういうことか。東電本店に到着した首相が、東電幹部らを怒鳴りつけ始めたのは、いったい何なのか。
首相の怒声は会議室の扉の外側に漏れ、各紙がそれを報じた。部下、直接危機に対処している東電の幹部、現場で決死の作業中の作業員、そして全国民を、励まし勇気づけることこそ、首相の役割であるのに、危機に臨んで指導者のすべきことではない責任転嫁の典型的行動を、菅首相は取ったのだ。
計画停電発表にも首相の自己宣伝臭が芬々(ふんぷん)とする。東電側の発表を抑えて、首相は自ら発表したいと言い出し、13日午後7時47分の国民へのメッセージで発表した。だが、詳細はなく、次に登壇した枝野幸男官房長官も詳細は海江田万里経済産業相に発表させると述べた。海江田氏からも詳細の発表はなく、次の節電啓発担当相の蓮舫氏も国民に節電を求めるにとどまった。国民が最も知りたい計画停電の具体策を問われて、蓮舫氏は傍らの東電幹部に「答えられます?」と尋ねるありさまだった。戦後日本の他力本願体質と空疎な政治主導を凝縮した場面だった。
日本周辺が緊張しても、わが国は軍事力を削り、国家の安全を米国に頼り続けた。他国依存だけで、いっこうに自立しないわが国に、天は、「日本よ、自ら助ける気持ちはあるのか、国家として生き残る意志はあるのか」と突きつけている。大戦争の被害も及ばない大惨事を前にして、なお、自己宣伝に走る首相は、その天の問いにまともに答えられない。これでは多くの尊い犠牲を生かすこともできない。真に国家として甦ることだけが、犠牲者の魂に応えることになると私は感じている。(週刊ダイヤモンド)
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