7585 長野県人らしい政治家像 古沢襄

信州・佐久にいる田村俊子賞の受賞作家・一ノ瀬綾さんから電話があった。長野県の北部もかなりの地震被害がでたという。茨城県に一時、住んでいたことがあるので「そっちはどうだった?」と心配してくれた。
一ノ瀬さんは信州・上田の上田高等女学校の出身。私の母の後輩に当たる。典型的な信州女で意志強固、おまけにお喋りで話を始めたらとまらない。私とは同年だから80歳になった筈である。今でも県内の文学講演に精を出しているという。
ふっと長野県人らしい政治家ということを考えた。私が思い浮かぶのは羽生三七氏、井出一太郎氏と田中秀征氏。
羽生さんは「参議院の良心」といわれた社会党の論客。安保国会で参院予算委員会の質問に立った羽生氏の姿が忘れられない。当時は派手な野党の爆弾質問が流行ったが、諄々と説く羽生氏のスタイルは大学教授の講話を思わせて、むしろ説得力があった。長野県人らしいとひそかに共感を覚えたものである。
党派は違ったが福田赳夫氏が羽生さんを高く評価していた。羽生さんは良識の府である参議院を代表する人物として長く記憶に残る。同じ思いを友人の石川真澄さん(故人 朝日新聞)が言っていた。石川氏は「ある社会主義者 羽生三七の歩いた道(朝日新聞社刊)」 を書いている。
羽生さんは飯田市(旧下伊那郡鼎村)の出身。山川均と出会いが社会主義運動に入るきっかけだったという。参院議員になってからは日ソ国交回復や日米安保条約改定など外交・防衛問題に関する論客として知られた。外交問題では羽生さんの議論に聞くべきことが多かったと記憶している。
井出一太郎さんは三木内閣の官房長官として知られたが、弟の武三郎さんが共同政治部のデスクでいた。やせ形の静かな人だったが、風格ある物腰で私たちの原稿に手を入れてくれていた。一目置いて、武三郎デスクの指導に従っていたものである。しかし自民党政治に対する批判は一貫して変わらなかった。
その性格は井出兄弟に一貫したものがある。三木退陣後も一太郎氏は反田中角栄の強硬派として知られ、40日抗争では反主流派統一組織「自民党をよくする会」の会長を務めている。あのおとなしい一太郎氏に激しい反骨精神があったとは驚いたものである。
井出一族は佐久市(旧南佐久郡臼田町)の出身だが、南信の佐久地方は戦国時代から伝統的に反骨精神が豊かな武将を輩出している。武田信玄の信州攻めで一番手を焼いたのが、佐久衆といわれた豪族だった歴史がある。その佐久に一ノ瀬さんは居を定めている。
さて田中秀征氏だが長野市(旧更級郡篠ノ井町)の出身。自民党の宮沢派に属していたが、細川内閣の誕生で新党さきがけの理論的指導者として頭角を現した。私は羽生三七さんに感じた”長野県人らしさ”を田中氏にも感じる。やはり大学教授の風格がある。
権力闘争の政治の世界で、みずから信じる政治理念を守り、妥協しない精神は長野県人の特有のものなのかもしれない。「暖かくなったら、娘を連れて信州にいきます」と一ノ瀬さんに告げて、電話を切った。初夏の信州旅行が楽しみである。
杜父魚文庫

コメント

  1. おかさん より:

    ★ 先日、現場の自衛官、東電の職員に
     缶詰、乾パン等以外の食べ物を・・・と
     書きましたが、やっぱり出ました。
     自衛官の死亡・・・
     現場で頑張っている人達はスーパーマンじゃ
     無いのです。人間なのです。
     働いたら疲れるし・・・
     ろくな食べ物しか無かったら倒れるし・・・
     眠れなかったら病気になる・・・
     そんなこと誰も分かってくれない。
     ただ「頑張れ、頑張れ」だけ・・・

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