経済成長とともに電力消費は伸びるから、そのエネルギー源をどう確保するかは大きな課題である。
マイナス成長、ゼロ成長でもいいじゃないか、質素倹約で行こう、それなら電力消費も伸びないから地球にやさしい、というのは夢想、妄想で、増大する一方の社会保障費を賄うためにもプラス成長で行かないと国家がこけるのである。資本主義とは止まったら倒れる自転車操業のようなものだ。
チェルノブイリのような大事故を起こしかねない原子力発電を、発電の理想形だと思う人は余りいないだろうが、リスクと利益を秤にかけた結果、多くの国が原発依存を強めている。
主要国の電力エネルギーに占める原子力発電の比率は、日本30.0%、米国20.6%、フランス77.1%、ドイツ29.4%、英国23.5%、韓国39.8%(IEA ENERGY BALANCES OF OECD COUNTRIES 2001-2002)。
数時間の停電にも耐えられないのだから、原発がなくなれば日本人はもはや生活ができない。それにとって代わる発電源は現実としてないのだ。風力発電や太陽光発電は需要の1%ほどを満たすにすぎない。
経済産業省「エネルギー白書 2010」から――
<今後増大する世界のエネルギー需要を展望した場合、原子力の利用拡大だけで全てを賄えるわけではありません。しかし、積極的な導入促進策を怠れば、石炭や天然ガス等他の資源の需給がさらに逼迫し、各国のエネルギー安全保障を脅かすおそれがあります。
(石化燃料など)他の削減対策にも注力しつつ、特にこれから経済成長が著しいアジア、電力消費量の多いアメリカやロシア等の国々における原子力の利用拡大も併せて図っていくことが、エネルギー安全保障の観点から重要であるといえます。
また、原子力発電利用の推進は、発電における温室効果ガス削減に寄与し、地球温暖化対策としての効果も期待されています>
「原発止めますか、それとも汚染で死にますか」と原発嫌いは言うが、好むと好まざるに関係なく、「原発止めたら皆こけた」となるのだ。理想を掲げるのは結構だが、現実から遊離したらただの夢想、妄想、暴走、ただの感情論でしかない。
原発抜きにして増大する一方の電力需要をどう賄うのか、原発反対派は明確な代案を示すことが肝腎ではないか。
杜父魚文庫
コメント
「原発抜きにして増大する一方の電力需要をどう賄うのか、原発反対派は明確な代案を示すことが肝腎ではないか。」
と仰いますが、「シャブ漬けにしておいてからシャブ抜きできますか?」と論じているに等しいと思いますけど。
発電技術者達が現代物理学の成果を応用(悪用?)して、核分裂エネルギーでお湯を沸かせば無尽蔵の電力が手に入る、という妄想から出発した不完全技術だと思いますよ、原子力発電は。何せ、放射能半減期を制御する物理学的原理は存在しないことを解っていながら(無視しながら)強引に実用化しちゃった結果なんだから。原子核物理学というのはそこまでの指導的原理を持っている学問でもないし、原子核化学も単なる核反応現象論なので。「停める、冷やす、閉じ込める」の三原則が破綻してしまった現実がある以上、放射能半減期制御が「物理学的原理として不可能」という現実をどう考えるかでしょう。
科学技術的には、代替エネルギー資源となる物質探査あるいは物質合成(核合成ではなく分子合成)というのがまっとうなやり方なんでしょう。それまでは「放射能に怯えながらの経済成長を選択」するか「代替物質発見までの暫くの間、二酸化炭素増加に怯えながらの経済成長を選択」するか、の択一だと思いますよ。原子力発電だけが「絶対真理」という考え方は近視眼的に過ぎます。