7618 西洋化の過程で失わなかった東洋の精神 古沢襄

台湾系の「大紀元」が東日本大災害に襲われた日本人の「冷静さ、秩序正しさ、忍耐力、利他的精神」を称賛する長文の記事を書いている。題して「菊と刀の国よ、再び」、日本の復興を見つめる中国人とある。
多くは欧米メデイアでも称賛された日本人の国民性の紹介なのだが、「今回、日本人の国民性に最も感服したのは、おそらく中国人だろう」と独特の切り口で解説した点が面白い。
その理由は、中国人が、日本人の国民性の中にある儒教文化の道徳的基盤に共感するとともに、中国共産党政権によって中国では破壊された儒教文化の大切さを、日本人の秩序ある行動を見て再び実感できたからである・・・と理由づけた。
「明治維新後の日本人は西洋化の過程の中でも、東洋の精神を放棄しなかった」として、日本人が有している教養は、文化のジャンルから見ると、彼らの着物や剣道と同様、漢や唐の時代の中国から伝承されてきた儒教精神の表れだと思う。これは日本人が有する特別な国民性というより、中国古代の義の精神と伝統的儒教思想、更に老子や荘子の思想も取り入れて、高いレベルの情操に発展させたものである。
「中共の言う『新中国』が設立されて以来、特に10年にわたって続いた文化大革命の嵐の中で、中国人の道徳や、社会の基盤となる責任感が破壊され尽くした。その後に続いた改革開放経済の時代には、資本主義の諸段階のような弱肉強食の精神が広がってしまった」というのは、その通りだと思うが、さて戦後の日本人はどうだろうかと思うと少し面映ゆい。
「この国はすでに『オタク』『萌』『カワイイ』のような文化に侵蝕されている。放射能汚染の危機が去れば、皆がきっとまた何もなかったように普段の生活に戻ると思う。例えば、危機が続いている現在でも、東京の人は仕事から帰る時間が少し早くなったぐらいで、以前と何も変わらないではないか」というのが、本当のところではないか。
<【大紀元日本4月5日】「危険度を熟知する隊員の恐怖心は計り知れないが、拒否する者はいなかった」
巨大地震発生後、東日本を襲った最も恐るべき事態――原子炉のメルトダウン(炉心溶融)を阻止するため、福島第一原発で放水の任務を与えられた東京消防庁ハイパーレスキュー隊のメンバー。任務を成し遂げた翌日の記者会見で、佐藤康雄警防部長はそう語った。
福島へ向かう前、佐藤警防部長がメールで家族にその任務を伝えると、「日本の救世主になってください」と一言だけ書かれたメールが妻から送られてきたという。
「冷静さ、秩序正しさ、忍耐力、利他的精神」。今回、東日本を襲った大地震と一連の災害の中で現れた日本人の国民性に対して、各国のメディアは称賛の声を惜しまなかった。 
なかでも世界中の人々が敬服した典型的な日本人の例が、福島第一原発の事故で放射性物質の漏洩が発覚した後、50人の作業員が現場に残り、自分の命を懸けても事態収拾に奮闘した「フクシマ50勇士」の姿だった。
「彼らは自分の命を以って武士道精神を示してくれた」。現在、米国ダートマウス学院の経済学部在学中で、日本にも留学した経験を持つ中国人留学生ペン・イ(彭裔)さんが、米フィナンシャル・タイムズ(FT)の中国語ウェブサイトに寄せた評論で、このようにコメントしている。
日本人も再発見した日本の「魂」。海外からの溢れる称賛に対して、日本人自身はそう思っていない人が多いようだ。
ある20代の女性会社員は、「大地震のあの日、私は怖かったもの」と答えた。また、ある30代の主婦は、「だって家で買いだめ、いっぱいしたもの」と言う。
震災後、日本では批判もされたが、石原慎太郎東京都知事は、日本人の国民性について「日本人のアイデンティティーは我欲だよ。物欲、金銭欲。我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている」と指摘し、「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べたという。
一方、福島原発での放水作業の経緯について報告した消防庁のメンバーを前にして、石原都知事は涙を隠さず、「このすさんだ日本で、人間の連帯はありがたい、日本人はまだまだ捨てたもんじゃないということを示してくれた。これをふまえて、これにすがって、この国を立て直さなければいかん」と声を震わせ、深々と礼をしたという。
外から見える日本人のポジティブな面と、日本人自身が内から認識する日本人のネガティブな面について、どう理解すべきなのか。前述の中国人留学生ペン・イさんは、次のように考えている。
「フクシマ50勇士に代表される日本人は、主として50歳以上の人たちだ。悲しいことだが、日本の若者は(地震の最中に)建物の軒下で怖くて震えていた。日本の80年代、90年代生まれの若者は、髪の毛のスタイルや眉毛や肌の手入れなどの美容には優れているが、国際競争という世界の舞台では、すでに脱落したのかもしれない」
日本に留学し、慶応大学で学んだこともある中国出身のペン・イさんは、バブル経済崩壊後の日本の若者は、かつての日本人が有していた強い精神、すなわち武士道精神を失ったと見ている。
「40代、50代の日本人には、まだ戦う気が満ちている。しかし若者については、例えば東京大学や慶応大学のような有名大学の学生であっても、全く理想がないようだ。男性でも化粧や美食に興味津々で、部屋にこもってアニメばかり見ている」
さらにペン・イさんは、日本の若者の現状について、FTの中国語サイトに寄せた評論「この地震は日本を目覚めさせるか」の中で、次のように指摘している。
「現代の若者は、日本の先人たちのような風を切って奮闘努力する開拓精神を失った。英語を勉強せず、外国を恐れている。何事も気にかけず、世界に対して関心を持とうともしない。留学や海外で仕事をすることに全く興味がないどころか、しり込みしているようだ。日本国内にいて、便利な交通、きれいな環境、犯罪率の低い社会と安易な生活に満足しており、アニメ、ゲームなどの娯楽に徹底的に蝕まれた日本の『オタク』になってしまった」
再生には「魂入れ」が不可欠 
石原都知事や、日本で生活した経験のあるペン・イさんのほか、独立派中国人作家で政治評論家の袁紅冰氏も、昨年来日した際に、日本人の精神的後退について同様の問題を指摘している。
「桜は咲き続けているが、日本の武士道精神はすでに凋落してしまった。第二次世界大戦後、日本は魂のない国、経済的な機能だけの存在に堕落してしまったのだ。物欲だけにコントロールされる道をそのまま進めていくと、日本はいつの日か行き詰まり、滅びるだろう」
また中国人ネットユーザーGoogle89も、ネット上に「地震後の日本に必要されるのは家の再建だけではない」と題する文章を投稿して、「『フクシマ50勇士』およびその現場で引き続き奮闘する人々のストーリーは、日本と世界の民衆に感動を与えた。しかし、自己を犠牲にして仁を成すという武士道精神は、日本ですでに消えていると思われる。戦後民主主義は日本の西洋化を進めたが、どのように日本の伝統文化の実を伝承していき、菊と刀の精神という日本文化のシンボルを継続させていくのか、日本社会全体が考えるべきではないか」と述べている。
日本留学の経験から、日本の若者に対して失望したとも見られるペン・イさんの意見はネガティブなものが多い。F・Tの中国語サイトに寄せた同評論で、次のようにも述べている。
「今回の震災を通じて、日本人の民族的団結力が蘇ると言う人がいるが、私はそう思っていない。この国はすでに『オタク』『萌』『カワイイ』のような文化に侵蝕されている。放射能汚染の危機が去れば、皆がきっとまた何もなかったように普段の生活に戻ると思う。例えば、危機が続いている現在でも、東京の人は仕事から帰る時間が少し早くなったぐらいで、以前と何も変わらないではないか」
「この20年来、日本経済は縮小して、日本人は『温水に落ちて、のびた蛙』のような経験をしてきた。痛みの感覚が薄いから、大和民族は戦う気力がなくなり、このように平和ボケとなってしまったのだ。今『フクシマ50勇士』が皆のために戦っているが、若い人たちはどこに行ったのか。日本にはもはや、福沢諭吉や松下幸之助のような、肝心な時に民族をリードして切り開いていく巨人がいないのだ」
日本人の「魂」と儒教精神
一方、今回の震災の中で示された日本人の国民性を賞賛する声が、世界中に溢れていることも確かである。この国民性こそ、今後の日本の復興のために重要視されるところかも知れない。
今回、日本人の国民性に最も感服したのは、おそらく中国人だろう。
その理由は、中国人が、日本人の国民性の中にある儒教文化の道徳的基盤に共感するとともに、中国共産党政権によって中国では破壊された儒教文化の大切さを、日本人の秩序ある行動を見て再び実感できたからである。
米国在住の中国人作家・張朗朗氏は、日本人の国民性について感服しながら、次のように分析している。
「明治維新後の日本人は西洋化の過程の中でも、東洋の精神を放棄しなかった。日本人が有している教養は、文化のジャンルから見ると、彼らの着物や剣道と同様、漢や唐の時代の中国から伝承されてきた儒教精神の表れだと思う。これは日本人が有する特別な国民性というより、中国古代の義の精神と伝統的儒教思想、更に老子や荘子の思想も取り入れて、高いレベルの情操に発展させたものである」
しかし、もともと中国に由来する精神文化が現代中国には残されていないため、中国人が震災中に見た日本人の国民性については、懐かしさばかりでなく、「悔しさ」を感じるという複雑な心情もあるようだ。張朗朗氏はまた次のようにも言う。
「中共の言う『新中国』が設立されて以来、特に10年にわたって続いた文化大革命の嵐の中で、中国人の道徳や、社会の基盤となる責任感が破壊され尽くした。その後に続いた改革開放経済の時代には、資本主義の諸段階のような弱肉強食の精神が広がってしまった。もしここで政治改革をしなければ、たとえ今の中国経済が一部の国民に裕福な生活を与えられたとしても、国民は高いレベルの精神状態に達せないだろう」
日本からはるかに離れた米国で張朗朗氏が感じたことに共通する懸念を、被災地の中心である仙台にいた中国人・張陽氏も感じていた。
東北大学で助教を務める同氏は、震災後の避難所で中国人留学生を含む多くの東北大学の学生に出会ったが、進んでボランティア活動を志願した中国人留学生が一人もいなかったことを残念に思ったという。
「日本国民は、まさしく中国2千年の儒教思想を受け継いでいる。遣隋使が中国から儒教文化を日本に持ち帰った後、聖徳太子は十七条憲法を発表した。その憲法の第一条に『和を以って貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗と為す』とある。これはまさに孔子の『論語』の内容に合致している」
今回、世界を感服させた日本人の「冷静さと秩序正しさ」の淵源について、張陽氏はこのように理解していると言う。一方、同氏は「日本人をこれほど素晴らしい民族に教化した儒教思想は、現代の中国では見られない」と悔やむ。
張氏はまた、「私が日本に来たばかりの時、あるお婆さんに道を尋ねたところ、わざわざ目的地まで連れて行ってくれた。私が中国から来た者だと聞いたお婆さんは、私に深くお辞儀をしてくれた。そのことを不思議に思い、大学の日本人に聞いたところ、日本人は中国の孔孟思想に敬意を持っているので、中国人にも敬意を示したのだろうと言われた」と、18年前に来日した頃のエピソードに言及し、日本に来てから中国伝統文化の素晴らしさを認識できたと話した。
「文化の復興」こそ真の復興
自国の伝統文化の素晴らしさに目覚めた張陽氏は、やがて在米華僑アーティストによる神韻芸術団の舞台「神韻」に出会う。
「天を敬い、徳を重んじる」という中国伝統文化を現代に復興させるという趣旨で始まった神韻世界ツアー公演は、日本を含む世界各地で5年にわたって巡回公演を重ねてきた。その美しさと人々を感動させる力に引かれた張陽氏は、今年4月に、自分が住んでいる仙台市でも同公演を開催することを計画した。しかし今回の大地震のため、予定されていた公演はやむなく中止されることとなった。
現在、張陽氏は、神韻が表現する「真・善・忍」の精神が仙台の復興に力になると信じて、来年初めの仙台公演実現に向かって努力しているという。
「困難を乗り越える勇気。苦境にある人々への慈悲。そして常に最後には立ち直る信念。昔から伝えられてきたこれら天からの大切な授かり物を、被災者に届けたい。そして日本が立ち直るように声援を送りたい」と同氏は語っている。(大紀元)>
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