7639 「菅おろし」本格化か 花岡信昭

西岡参院議長が菅首相の能力に疑問を投げかけ、小沢一郎氏がこれに「感銘を受けた」と述べたという。さあ、いよいよ民主党内の「菅おろし」が本格化しそうだ。
救国大連立をつくろうと思ったら、いま、菅首相が退陣表明すれば、すぐにもできる。政局はそういう状況だ。「3・11」という未曽有の巨大災害、さらに深刻な原発事故。これに直面して、やはり菅首相は国家リーダーとしての振る舞いができていない。
親しい議員をばたばたと官邸に取り込んだり、学者らを次々に参与に登用したり、さらには、なにやら対策会議といったものばかりつくったり・・・そうした菅首相の行動は、すべて、これまでの危機管理体制がなっていなかったことを自ら証明しているようなものだ。
いま、政府は総力をあげてこの災害に立ち向かっているかのように見えるかもしれないが、本当のところをいってしまえば、そういう姿にはなっていない。
霞が関官僚群は、自分のところに関係することがらだけはそつなくこなしているが、菅政権を全面的に支えようという奇特な人はほとんどいないのではないか。
次の総選挙後、民主党政権はあり得ないことを官僚たちは見抜いている。いまの国難ともいえる状況を乗り切るのに、この首相ではとてもではないが無理だということも見抜いている。
だから、菅首相がいかに怒鳴りまくろうとも、国家の総力をあげて・・・という雰囲気など出てくるはずがない。
菅首相には申し訳ない言い方になるが、要は「器」の問題だ。国家の非常時にあって、最高責任者はいかにあるべきか、その構えができていない。
西岡氏も小沢氏も政治経験の豊富さにおいて、菅首相をはるかに凌駕している。さすが、こういう局面でのものの言い方を心得ている。
そこで、この2人に勝るとも劣らない政治経歴の持ち主である渡部恒三氏の発言がほとんど伝わってこないのは、どういう理由か。
地元の福島で原発対応に追われているのだろうか。それとも、菅首相を支えてはきたが、やはりだめだったか、とものを言う気にもならなくなっているのだろうか。
「コンクリートから人へ」などという表現を、菅首相のようなタイプの政治家は好んで口にする。
これは真っ赤なウソであることも、今回の大惨事は立証してしまった。コンクリートがなければ人の命は救えないのだ。
「脱ダム宣言」などというのもあった。これから、日本は原発をつくりにくい時代を迎える。脱ダムどころの話ではない。ダムを造りまくって電力確保に走らないと、経済も生活水準も失速する。
「生活が第一」というキャッチフレーズを掲げていたのはどこの政党だったか。
<<役者がいなくなった政界 失われる政治のダイナミズム>>
救国大連立の行方はなんともおぼつかないが、それもこれも、政治の世界に裏芸も表芸もできる「役者」が少なくなってしまったことが大きいのではないか。
既成概念をぶち壊して大連立を目指そうとするのなら、すさまじいばかりのダイナミズムが必要だ。
以下はこの大震災の前に書いた原稿。「時事評論」685号(3月20日発行)に掲載された。記録の意味も含めて、再掲しておきたい。
<<自民党から民主党への政権交代が実現してほぼ1年半。鳩山、菅両内閣とも地に足がついていないというべきか、なんとも稚拙な政権運営が目立つ。政治というのは「調整の世界」だが、水面下で動くことができる「役者」がいなくなったことが大きいのではないかと痛感する。ひるがえって自民党を見ても、かつての長期政権時代とは様相を異にしている。
自民党の全盛期に政治記者として永田町を走り回ってきたが、最近、愕然としたことがある。民主党から小沢一郎氏系の16人が会派を離脱するという騒ぎがあったが、この16人のほとんどが初めて名前を聞く議員ばかりだったのだ。
政治記者の現役時代は、政治家の顔と名前を覚えるのがまず最大の仕事だったから、国会便覧の写真が出ているページを切り取ってホチキスで留め、ポケットに入れていた。一冊だと厚すぎたのだ。時間があると、本会議場の記者席から議場を眺め、知らない政治家の顔を覚えたものだ。
当時は政治家の名前を聞けば、所属派閥、選挙区がすっと頭に浮かんだのだが、このごろはまったくだめだ。かつての記者仲間に聞いても同様の反応である。テレビの国会中継を見ていても、知らない顔ばかりというのである。
党には残るが会派は離脱するという不可解な行動に出た16人は、ブロック比例の名簿下位に登載されていた人たちばかりだ。前回衆院選で民主党が歴史的圧勝を果たしたから当選できたわけで、そう言っては申し訳ないが、通常の選挙であったら名簿の穴埋め要員と見られても仕方のない人たちであった。知らない人がほとんどというのも当然と言えば当然だ。
ウラもオモテも知り尽くした「役者」が確実に減った。いま、民主、自民双方でウラ仕事ができるのは、民主側は仙谷由人代表代行、自民側では大島理森副総裁などと言われているのだから、かつての様相とはずいぶん異なる。
筆者が政治記者を務めたのは、佐藤政権7年8カ月の後継を田中角栄、福田赳夫両氏が争った「三角大福中」時代が中心である。田中、福田、大平、中曽根、三木の5大派閥が君臨し、それぞれの派閥に領袖のほか、ナンバー2、ナンバー3といわれる実力者たちがずらっと揃っていた。
派閥の弊害も叫ばれたのだが、領袖は総理総裁を目指してそれなりの「帝王学」を身につけていく。自派の領袖を首相にするために、派閥幹部たちがさまざまな工作を展開する。
「三角大福中」のあと、ニューリーダーとして「安竹宮」(安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一)が位置付けられ、さらにネオ・ニューリーダーも存在した。たとえば「安倍派四天王」といわれた森喜朗、塩川正十郎、加藤六月、三塚博の4氏らである。この加藤、三塚両氏が「三六戦争」を展開し、宮沢派では加藤紘一、河野洋平両氏が「KK戦争」を演じた。
筆者は鈴木善幸政権から中曽根康弘政権で官房長官番を担当、宮沢喜一、後藤田正晴両氏を担当するという得難い体験をした。宮沢氏は裏側で動くタイプではなかったが、政局のことは隅々まで熟知していたし、後藤田氏は旧内務官僚出身らしくあらゆる情報に通じていた。
当時、ソ連のスパイによる対日メディア工作「レフチェンコ事件」が発覚、勤務していた新聞社から犠牲者が出た。もう一人出そうだという話が飛び交い、後藤田氏にこっそり尋ねた。「もう出さない。安心しろ」という明快な答えが返ってきた。それほどの力を持っていたのであった。
中曽根政権は五年続いたが、最大派閥・田中派の支援が大きかった。金丸信、竹下登、小沢一郎の三氏は「金竹小」と呼ばれた。竹下派(経世会)が誕生し、「竹下派七奉行」が活躍した。金丸氏の命名であった。
小渕恵三、梶山静六、橋本龍太郎、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和、小沢一郎の七氏である。このうち、現在、民主党に移っている三氏を除く自民党側の四氏が他界した。金丸氏は「平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と称したものだ。
水面下で動くという点では竹下氏の手法に勝る人はいなかったのではないか。五五年体制下で、自民党の一党長期支配、社会党の万年野党第一党が固定化されていた時代である。「社会党の人たちも、何万という有権者に名前を書いてもらって国会に出てきている。その立場を理解してやらないといけない」「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう」など、いかにも気配りの竹下氏らしい言葉をいくつか覚えている。
国会が空転すると、竹下氏はわれわれが「朝回り・夜回り」するのと同様に、社会党の国対幹部の宿舎に出向いてしまう。向こうは竹下氏の訪問を受けて驚くが、「そろそろなんとかしようや」という竹下氏の工作にまいってしまう。そこで、強行採決の段取りなどが決まるのであった。
重要法案でにらみ合って膠着状態に陥ると、いかんともしがたい。強行採決で一回、ぶつかると、ガス抜き効果が生まれ、一夜あければ国会は正常化するのである。政治の現場に「大人の知恵」が働く局面であった。
昔の写真を見ると、マイクにしがみつく委員長を背中からはがいじめにするように大柄な金丸氏ががっちりと守るシーンが出てくる。強行採決は事前にだれがどういう合図をしたら委員長が質疑打ち切り、採決を宣言するといったシナリオができあがっていたのであった。
これを知らされていた人たちは、もみあいになって破れてもいいようにと一番古い背広を着ていったという話も当時は聞かされたものだ。
「安竹宮」のうち、安倍晋太郎氏は病気に倒れ、竹下、宮沢両氏が政権の座に就く。中曽根氏が後継者を指名するという段取りになり、売上税(消費税)の実現に意欲を示した竹下氏が指名される。あのとき、政治記者のほとんどは安倍氏だとばかり思っていたのだが、中曽根氏は自身の政権が「田中曽根政権」といわれた通り、田中派の全面支援で誕生したことの恩義に報いたのであった。
筆者はいま、大学院で社会人も含めた「学生」に政治やメディアを中心とした講義をしているが、「政治は勘定と感情の世界」といった話から始めることにしている。周到な戦略戦術に基づいた計算づくの権力闘争の世界だが、人間の所作の集積だから、そこに「情」がからむ。政治分析のおもしろさがそこに隠されている。
今の政治に欠けているのは、その部分である。役者も黒子もいなくなって、まことに味気ない生硬な対決シーンしか出てこない。その裏側での人間的なからみ合いがほとんどなくなってしまったのである。
渡部恒三氏は「竹下派七奉行」にならって、民主党の七奉行を命名した。玄葉光一郎、仙谷由人、前原誠司、枝野幸男、樽床伸二、野田佳彦、岡田克也の七氏である。いずれも有能な人たちではあるのだが、かつての自民党の役者たちに比べて、人間くささといったものが薄いのが気になる。野党工作ができる人がどれだけいるのだろうか。
「安竹宮」時代は、宮沢政権崩壊で五五年体制終焉となり、そのあと「YKK」の時代が喧伝される。山崎拓、小泉純一郎、加藤紘一の三氏である。だが、政権を手中にしたのは小泉氏だけで、ポスト小泉で「麻垣康三」といわれる時代になる。麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の四氏で、安倍、福田、麻生三氏がほぼ一年の政権に終わり、谷垣氏は総裁にはなったものの総理になれるのかどうか分からない。
政治家が小粒になってしまったといわれるのは、民主党も自民党も同じだ。現在、自民党三役は石原伸晃幹事長、小池百合子総務会長、石破茂政調会長だが、「IKI」あるいは「石小石」などと言われるまでには至っていない。
自民党に活力があった時代には、常に、次の世代が明確に位置づけられていたのであった。「三角大福中」といったスタイルの呼称は「麻垣康三」で終わりになってしまうのかもしれない。
菅政権は末期的症状を呈し、かといって自民党も衆院解散・総選挙を叫ぶ割りには、そこへ追い込むシナリオも戦略もはっきりしない。役者不足が政治のダイナミズムを失わせているといっていいのかもしれない。>>
杜父魚文庫

コメント

  1. K iwashita より:

    「ない智恵を絞って復興に協力せよ」
    3,11前も後も首相退陣要求の動きが一向に収まらない。
    大震災の緊急対応が今一番被災者に要請されている。対応の遅れなどの批判は、誰がやっても、起こるもの。特に野党や評論家や新聞社説などから。
    しかし、災害に対する政治目標は、被災者の生活支援復興政策により、被災者の暮らしを安定させることが政治目標であるとするならば、これに争いはないはず。
    だから、今、現に支援と復興活動の先頭に立っている菅を支えるしかないではないか。
    すべての政治家は先ず、批判ではなく、ない智恵を絞って、支援と復興に対して、意に沿わなくても協力するしかない。
    だれがなっても同じと言う意見には組しないが、被災地で身を投げ出して復興に汗をながしている者からすれば、現実に活動している者に協力するしかないだろう。
    首相の据え変えは、解散後、任期、辞任の手続と悟るべきで、徒党を組んで辞任行動を起こしてならない。
    評論家であってはならない。

  2. 増税ですか? より:

    誰が首相になっても同じような気がする。どの政党が政権とっても同じような気がする。ただ、震災復興費で私腹を肥やす政党や、金をばら撒く事だけを生きがいにする政党はごめんだ。
    俺たちの血税だぞ。お前らの金ではない。分かっているのか。政治家、そして役人。

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