その後の中東、北アフリカ異聞。EUは新しい対応に迫られた。対岸の仏伊に自由を求めて多くが移民、EUはヴィザを検討へ。
チュニジアから地中海を渡海すれば、イタリアの島々が見えてくる。チュニジアを脱出した人々はイタリア領内の一番近い島を目指したが、悲鳴をあげたのはイタリア当局。人権の立場から保護せざるを得ないが、一時的避難かとおもえばEUに潜り込んで就労のチャンスを狙う人々が目立つ。
イタリアのランベドウザ島へ漂着できたチュニジア人は二万三千人を越えたが、他方、船が沈没などして漂流し、行方不明が数百から数千とも見積もられている。
フランスはチュニジア難民ならびにイタリアの国境をこえて入ってくる『難民』を片っ端から追い返し始めた。フランスが追い返したチュニジア難民はすでに1000名。
これはイタリアが一度受け入れた難民を、さっさとEUのほかの国々へ出国させているからで、フランスとドイツは、このイタリアの遣り方に不満を抱き、無制限受け入れに難色を示している。イタリアは難民暫定VISA発給をEU議会に提出する構え。
リビア内戦が始まった。海へ逃れたリビア難民は急ごしらえ、安物の船だったためか数万が海のもくずと消えた。命からがらイタリアの島々へたどり着けたのは幸運だった。
西のチュニジアへ数十万、エジプトへは百万以上のリビア難民が発生した。フランス、イタリアなどはテントを大量におくって難民テント村をつくり、食料援助をつづける一方で、かれらがEU上陸を阻止する防御態勢を敷いている。
しかしイタリアには移民排斥をさけぶ愛国陣営『北部同盟』が勢力を伸ばしており、ベルルスコーニ政権も政治的立場は移民排斥に組みせざるをえない。だから「時期が来れば難民には帰国して貰う」としている。
フランスが難民送還に積極的なのはサルコジが右派「国民戦線」に追い上げられているからだ。EU議会はチュニジアなどへ二億ドル援助増加と引き替えに難民送還を強化しようとしている。かくてEU27ヶ国は、新しい難題に直面し、意見が分かれ、鋭角的対立を示してきた。
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◎毎日一行●日本の最大の危機はフクシマではない。菅首相が居座っていることだ。
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(読者の声)読者の方が、東條英機元首相以下6名の処刑の事に触れていましたので、私の知っていることを一言。戦後、元海軍将校達が厚木飛行場に立て籠もり、マッカーサーが降りる一本の飛行場を残して、後は滑走路を使えない程車等の残骸で覆いました。
ところが、このことがGHQの知る所となり、これを止めさせないと「三発目を東京に落とす」と海軍は脅された、と言います。そこで、マッカーサー暗殺グループに同僚の多い佐藤六郎大佐と海軍出入り業者の安藤明氏が指名を受け、決死の覚悟で彼らを説得しました。
その後、安藤氏は全国から1万人以上を集め、三日間で厚木飛行場を原状回復し、事なきを得た(三発目は落とされずにすんだ)ということです。
これが有名な厚木事件です。このときの作業費250万円を元手に、安藤氏は築地に「大安クラブ」をつくり、毎晩GHQの将校達を接待しました。そして、ころ合いをみて彼らの前に現れ、「ヤルタ体制打破」と「天皇制存続」を訴えたといいます。マッカーサーと昭和天皇の会見は、実は安藤氏がセットしたということです。
安藤氏は金額面で皇室を支え、GHQにも顔がきき、議員バッチなしに堂々と国会内を闊歩したと言います。東條氏以下6名の処刑後、安藤氏はトラックで巣鴨に行き、遺体を伊豆の「富士山の見える山の頂き」に埋葬した、ということです。
GHQに顔がきいた、安藤氏ならではの行動です。これらのことは、安藤氏の秘書をされていた石原喜久二氏から私が直接聞いた話です。「何時かは埋葬された場所を、石原氏からはっきり聞こう」と思っていましたが、石原氏は昨年6月突然逝去されてしまいました。安藤氏も、石原氏も、自らの功績を一切語ることなく鬼籍に入られました。最後の日本人達、というべきでしょうか。
なお安藤明氏については、安藤眞吾著「昭和天皇を守った男―ー安藤明伝」(ルネッサンスブックス)、古川圭吾著「昭和の快男児 日本を救った安藤明」(講談社出版サービスセンター)に詳しく述べられています。(浦安神保町)
(宮崎正弘のコメント)そういう逸話は存じませんでした。
杜父魚文庫
7669 難民受け入れでEU27ヶ国が対立 宮崎正弘

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