本日は、ちょっと興味を引かれたコラムを二つ、紹介します。まずは、日経新聞の23日付夕刊に載った脚本家の内館牧子氏の「記者のしらけた目」とのタイトルがついたコラムです。内館氏は、菅直人首相が発足させた復興構想会議(菅首相は震災以後、「会議」を約20も乱立しました)のメンバーであり、14日の初会合後、記者たちの取材を受けた際の感想をこう記しています。
《…会議は非常に活発で、誰からも「東北の復興」と「乱立のひとつにしない」という熱が感じられた。ところがだ。終了後に記者たちに囲まれた私は、彼らが非常にしらけた空気を発していることに気づいた。会議の様子などをとりあえず質問するのだが、復興構想会議に全然期待していないのがわかる。むろん、すべての記者がそうだというのではない。ただ、私を囲んだ記者の多くは「また乱立かよ」と思い、致し方なく取材をしているように見えた。
無理もない。「復興」と名のつく組織だけで「復旧・復興検討委員会」「復興構想会議」「復興実施本部」と3つもある。記者たちにすれば、「もういいから、きっちり対策を進めろよ」という気持ちだろう。記者のしらけた目は国民の目だということを、政府・与党はわかっているのだろうか。》
私は内館氏という人物をよく知らないのですが、なかなかきちんと見ているなあと感じました。菅首相は自分の殻に閉じこもって、自己愛に溺れながら自己正当化に余念がありませんが、内館氏には是非、世間の当たり前の見方はこうだということを会議の場で伝えてほしいものです。
まあ、きょうの参院決算委員会を見ても、菅氏は批判や厳しい指摘には完全に心を閉ざして不服そうな、「僕悪くないもん、頑張ってるんだもん」という顔をするだけなので、無駄かもしれませんが。
ちなみに、この14日の復興構想会議について、政府関係者はこんな感想を漏らしています。
「メンバーの話は非常に面白かったけれど、みんなバラバラでまとまりそうにない。何より、今はこんな会議に2時間半もかけている段階だろうか。瓦礫の除去や被災者支援など、まず取り組むべき問題がもっとあると思う。菅首相は非常に細かいことにこだわる一方、構想会議での復興構想など大きな話も好きだ。だが、一番肝心のその中間部分がない…」
さて、もう一つ、非常に気になったコラムがあります。それは、サンデー毎日(5.8-15GW合併号)に載っている毎日新聞の牧太郎氏のコラムです。牧氏は次のように書いていますが、この「我々」とは誰のことでしょうか。
《…人間には、どこか「怖いもの見たさ」があって「悪いこと」が続くのを内心、期待するヘンなところがあるのか?「三輪宝」という言葉は廃れ、「三隣亡」が残った。
× × ×
ハッキリ言えば、我々はワザと勘違いして(怖いもの見たさで)民主政権を作り、日本を〝三隣亡状態〟にしてしまった。
2年前、そこまで半永久政権だった自民党の悪政が目に余っていた。これではダメだ!我々は「政権交代」の美名の下、「民主党政権に一度、やらせてみたら」という軽い気持ちで民主政権を作った(もちろん、民主党はイデオロギーがバラバラ、半分近くの議員が「自民党で公認候補になれなかった議員」の寄せ集め。当方、この時も民主政権に大いなる疑問を呈したが)、少しは新鮮に見えた。
ところが……民主党政権になってから「悪いこと」ばかりだった。何しろ、彼らは「子ども」だった。(中略)最低な首相・鳩山さんのツケを「最悪の菅政権」が払う。三隣亡ではないか》
…うーん、この「我々」について、牧氏は「国民」と言いたいのか、それとも「毎日orマスコミ」なのか一体何なのか。ここは逃げずにはっきり明示すべきだと感じました。
私はとても臆病(子供のころはジェットコースターにも乗れなかった)なので、怖いものなど最初から見たくありませんでしたし、軽い気持ちどころかひたすら重く暗い気持ちになっていましたが…。
菅首相はきょうの参院決算委で自民、公明、みんなの各党議員から辞任を迫られましたが、それに対する答えはこんなものでした。以前のエントリで勝海舟の言葉を紹介した通り、本当に「無神経」ほど強いものはありません。
「私はこの3月11日の大震災、さらにこの原子力発電所事故、そのときに私がこういう立場に、総理という立場にいたことそのもの私が望んだとか、望まないとかではなくて、一つの運命であるとこのように私自身考えております。
その中で私のやるべきことについては、私なりに、もちろん個人的だけではありません。もちろん、政府のあらゆる機関、自衛隊も含めていろんな活動やっていて、そういう個々の活動に対しては国民の皆さんから評価いただいている部分も相当程度あるわけであります。
私は今、そうした責任を放棄して、何かその責任から逃れるということは、私がとるべき道ではない」
…あなたの「運命」とやらに、国民を巻き込まないでください。どうかお願いします。この菅首相という生ける災厄、受肉化した貧乏神を出現させたことを、怖いもの見たさだとか、軽い気持ちで総括してほしくありませんが、それとも正直だと評価すべきところなのでしょうか。やれやれ。
杜父魚文庫
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