さきほど、参院本会議で自民党の衛藤晟一氏が元気よく、「菅首相、あなたの退陣が日本復興の第一歩です」と訴えているのを聞きながら、イド様が送ってくれた「日本人と『日本病』について」(岸田秀・山本七平著、文春文庫)を紹介し、改めて岸田氏の慧眼を讃えたいと思いました。この本の中で岸田氏はこう語っています。
《…集団においていちばん問題になるのは、無能なリーダーをどのようにして排除するかということです。日本的集団では、無能なリーダーたちは下の者たちの人望を失い、その支持と協力を得られなくなって、おのずと排除されるという形をとる。ヨーロッパ的集団では、業績の評価に基づいて排除される。》
ああ、まさに現在の政界と官邸における菅首相のありようをそのまま克明に描写しているかのようです。問題は、まだ排除しきれていないところですが。岸田氏はさらに続けます。
《日本には業績の評価に基づいて無能な者を排除するという伝統がもともとない。無能だということで馘になった大学教授は一人もいないし、日清日露以来、太平洋戦争に至るまで、日本軍の将軍で作戦指導のまずさをはっきりと糾弾され、何らかの不名誉な処遇をされた者は一人もいない。》
そうなのですよねえ。菅首相の無能さを批判すると、すぐに「菅首相だって頑張っているのだから」とかばう反論を受けますが、彼が主観的に頑張ろうと頑張るまいと国民には結果しか関係ないのです。だけれど、日本的発想ではその割り切りができにくい。岸田氏はそこから敷衍して述べます。
《日本軍においては、だから、無能な司令官や参謀が続出したのは必然的だったわけです。インパール作戦の牟田口中将なんかは、どなり散らすしか能がなく、無能で卑劣な将軍の最たる者でしたが、ああいう男が排除されず、ビルマ第十五軍の司令官として強大な権力を持ち、八万の日本軍兵士をムダ死にさせる結果になったところに、日本軍の構造的欠陥がはっきりと現れています。》
どなり散らすしか能がなく、ってまさに菅首相そのものについて語っているかのようにぴったりですね。これは別に「軍」に限らず、官僚機構でも、政府・官邸のあり方としてもあてはまることでしょう。先日のエントリでも書きましたが、こういう日本的集団のあり方が政治の場で現出すると、事態は最悪となっていきます。岸田氏のわかりやすい比喩は続きます。
《もし牟田口が店員を五、六人使っている個人商店の跡取り息子で、親父が死んで牟田口商店を継いだとすれば、店員たちに馬鹿にされ、嫌われ、逃げ出されて、店はつぶれたでしょう。あるいは、彼に妹がいたなら、その妹が有能な店員と結婚して、牟田口商店をやってゆくということになったでしょう。商売の世界なら当然脱落する彼のような男を排除するシステムが日本軍にはなかったということです。》
これは、いま私が政治について感じている問題意識とぴたり符合します。菅首相のような官邸スタッフ(岸田氏のいう店員に当たりますか)にまで「クズ人間」と呼ばれ、「この局面で、菅首相の悪評の多さは尋常ではない」(1日付日経新聞コラム「風見鶏」)と指摘される人物が当選回数を重ね、位人臣を極めさえする。この不条理を阻止するシステムないし安全装置が日本にはないと…。
私は月刊「WiLL」6月号に、菅首相について次のように書きました。
《要は、人格、識見、能力とも全く首相の器ではないのである。市民運動家人生を全うし、ゴミ出しにうるさい町内会の顔役にでもなっていれば分相応だったのだ。それが、なまじ権力欲だけは人一倍、いや人百倍あったため、今日の惨状が生まれているのだろう。》
この程度の人間が巡り合わせで最高権力者となってしまう。それが構造的なシステムの欠陥だとすると、早急に改善策を講じないと、今後も菅首相のような貧乏神やルーピー級の破壊神が首相の座に就きかねないと、そう危惧している次第です。
杜父魚文庫
7799 イド様からの献本と岸田秀氏の素晴らしい慧眼と 阿比留瑠比
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