久し振りに都心へ出た。先輩の奥様の追善供養で「新宿・なだ万」での昼餐会を我ら後輩が企画したのだ。
なーんて、そんな堅苦しいことではなく、先輩の慰労や、奥様の最後と密葬(家族葬)のご様子などをお聞きするという、ごく内輪の集まりである。
先輩は子供がいないので今は独り暮らしだが、元気そうでよかった。ただ、さすがにがっくりしたのだろう、今の職場は65歳まで勤められるが、定年を待たずに退職すると言っていた。奥様が亡くなられたらハリがなくなってきたのだ。無理もない。
おしどり(鴛鴦)夫婦、二人だけで35年を睦まじく過ごしたから、伴侶の喪失感は余りあるだろう。
「夫婦は二世」という。夫婦の絆は現世だけでなく来世まで続くという意味で、「鴛鴦の契」(えんおうのちぎり)は堅く、重い。
「又有鴛鴦、雌雄各一。恒棲樹上、晨夕不去、交頸悲鳴、音声感人」(小説集「搜神記」)
<また鴛鴦あり、雌雄各一なり。恒に樹上に棲み、晨夕(しんせき=朝夕)去らず、頸(くび)を交えて悲しく鳴き、音声人を感ぜしむ>
「悲しく鳴き」とは“やがては来るであろう別れを切なく思う”といった意味だろう。
玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを詠った「比翼の鳥、連理の枝」(白居易「長恨歌」)も有名だ。
「在天願作比翼鳥、在地願為連理枝」<天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となろう>
永遠に別れはしない、二人は一緒ということだ。
先輩が言う。「火葬待ちの4日間、自宅で眠るがごとくのカミサンのそばに居続けたが、これにはさすがに堪(こた)えたよ。辛かった。おまえ百まで、わしゃ九十九まで、というのは本当だな、妻を見送るというのは男にとっては耐え難いよ」
別れはいつかは来るものだが、男は自分のほうが早いと勝手に思い込んでいる。想定外で妻に先立たれたら、とにかく準備がないものだから七転八倒するのだ。おたおた、ばたばた、あたふたする。
危篤、臨終から初七日まで、嵐のような慌ただしい、そして辛い1週間、10日間が続く。考えるだけで気が滅入るし疲れてくる。
映画「風と共に去りぬ」のエンディングは、スターレットの故郷タラへの思いで締めくくられる。
Tara!…Home. I’ll go home, and I’ll think of some way to get him back! After all, tomorrow is another day!
(タラ! 私の故郷。タラへ帰ろう、タラへ帰って彼とのやり直しを考えてみよう。そうよ、これまではこれまで、明日には明日があるのよ…)
白居易は「天長地久有時盡、此恨綿綿無絶期」<天地は悠久といえどもいつかは尽きる。でもこの悲しみは綿々と続いて絶える時はこない>と歌うけれど、明日の積み重ねで時はいつしか傷口をふさいでくれ、わが心の中における故人の居場所が落ち着き、ともに心が安らぐのだろう。明日を信じるしかない。
杜父魚文庫
7807 妻に先立たれる“想定外” 平井修一

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