四月二十八日は、昭和二十七年に、サンフランシスコ講和条約が発効し、国際法上戦争状態が終了して我が国が連合軍の占領状態を脱した「主権回復記念日」である。
五月三日は、昭和二十二年に、「日本国憲法」が施行された日である。
私は、四月二十八日は、東京の靖国会館で、「『日本国憲法』の無効を確認せずして、我が国の『主権回復』はない」と語った。
そして、四月三十日は福島県飯舘村で、1~6マイクロシーベルト毎時のまことに快適な低線量率放射線を浴びて心身をすっきりさせて、菅内閣の福島第一原子力発電所事故による住民への避難指示、立ち入り禁止区域設定は、科学的根拠が無く間違った指示により住民を徒に苦しめている権力の乱用だと確認し、五月一日大阪に帰った。
また、五月三日は、札幌の道庁近くのビルの会場で、憲法について講演する機会が与えられたので、「『日本国憲法』は無効であり、国難に対処しえないことがますます明らかになった。大日本帝国憲法ならこの国難に対処できる」と語り始め、「三月十一日の巨大地震・巨大津波により亡くなった三万の方々を『英霊』と位置づけ、単なる復旧ではなく、敗戦から続く我が国の根本的な国家体制を匡して日本を再興しなければならない」と語って、講演終了後は北海道限定のサッポロ生ビールを飲みまくって五月四日大阪に帰った。
三月十一日以来、我が国が直面しているのは何か。
それは、生命至上主義、平和主義、個人主義、基本的人権至上主義の戦後体制つまり日本国憲法体制が、対処できない事態である。だから、「国難」なのだ。
戦後は、「平和憲法」、「憲法九条」があれば、あるから、戦争がないと考える時代だった。これは、危機を想定していないから危機はない、という論理であり、巨大地震、巨大津波を想定していなければ、それらはやってこないという思考回路である。
従って、国のために死なねばならない時など来てはならない、と考えておれば、そのような事態はあり得ないとする時代だ。
これでは、「戦争を想定しなければならない、従って軍備を増強するべきだ」、「危機を想定して対策を整えねばならない」という発想を持つ者は、この時代、この体制から排除される。
この度の大震災で、菅内閣や東電幹部から、マグニチュード9・0の地震や津波、そして原子炉冷却装置の流出は「想定外」という弁解が多用されるのは、まさに彼らが、この「平和憲法」の論理の中の秀才、エリート、ゴマすりだったことを示している。
しかし、福島第一原発事故を終熄させるために、今まで如何なる努力が行われてきたのかを見つめるだけでも、戦後体制の生命至上主義だけでは、到底対処できない事態であることが分かる。
「正論」六月号にも書いたが、福島原発鎮圧の為に、「万策尽きたあとの、最後の一手」を政治が決断しなければならない事態はあり得るのだ。
ここにおいて、我々日本人は、改めて「公」、「お国」の為に身を犠牲にした人々の途切れる事なき伝統の中に生きていることを自覚するのである。
先の大戦で、硫黄島の玉砕や特別攻撃隊出撃があったからこそ、本土への敵機動部隊の無差別攻撃開始が阻止され、多くの学童は安全なところに疎開できたのである。
今回の津波に際して、最後まで住民に避難を呼びかけ自らは津波にのまれた若き女性がいる。この女性は、硫黄島の兵士と同じ英霊ではないか。
また、灼熱の原子炉の上でヘリを停止し、数㌧の水を落とす行動が如何に危険か。操縦技術上も、活火山の噴火口の上でヘリを停止させられるものではない。しかし、まさにこれをした自衛官達は、まさにお国のために身を犠牲にした人々の列に繋がる英雄ではないか。
このように、東日本の被災地には、自己犠牲の話に満ちている。原発の推移次第では、鎮圧のために、この先何を敢行しなければならなくなるか、まだ予断を許さない。
では、我が国における英霊の伝統に繋がるこの自己犠牲は、何のために行われるのであろうか。「公」、「お国」のため、また、「家族」のため「あの人」のため「愛する者」のため、色々ある。
そのうえで、これらを全て含んで究極において納まる存在が我が国にはあるのだ。
それは、日本民族を一つの家族とするならば、その一家の本家の家長ともいうべき存在、つまり、天皇である。危機、国難において、我が国の最大の安定要因は、我が国に天皇がおられると言うことである。
佐々淳行さんが、言われるとおり、「天皇・・・再興の危機管理機構」(歴史通五月号)である。
そこで、もはや多言を要しない。やはり、この「時事通信」で、「平成の玉音放送」である三月十六日の今上陛下の国民への直接のお言葉を全文掲げさせていただく。
この中で、今上陛下は、被災し悲しみのなかにある国民の雄々しさを讃えられ、危険な仕事に従事する、自衛隊、警察、消防、海上保安庁らの努力に感謝しその労を深くねぎらっておられる。 そのうえで、「私たち皆」、即ち全国民が、被災地の苦難を分かち合い、それぞれの地域の復興に向かうよう呼びかけられた。
もはや、このお言葉は、日本国憲法の体制の中で発せられたのではなく、それ以前の悠久の昔から百二十五代、万世一系の歴史をもつ天皇と国民の「皇との絆」に基づいて発せられたお言葉である。
そして私は、「憲法の日」の札幌において、我が国の「根本規範」は、昭和二十一年に外国人によって紙に英語で書かれたものではなく、今上陛下のこのお言葉である、と語らせていただいた。
天皇陛下のお言葉 平成二十三年三月十六日
「この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。
地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げても救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。
その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望に繋がっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者として自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況のなかで、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者とともにあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が、決して希望を捨てることなく、体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者とともにそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」
杜父魚文庫
7822 国難のなかの連休にて 西村眞悟
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