やはり睨んだとおりだった。中部電力に対する菅首相の浜岡原発の停止申しいれは、何の根回しもした相談もない、市民運動家・菅直人の思いつきパフォーマンスだった。
市民運動家には哲学も国家観も無い。権力に対して野次りに終始し、パフォーマンスで、大衆の歓心を買っていれば千に一つぐらいの当たりがあるかも知れない。宝くじを買ってすてているようなものだ。
菅首相のやること為すことに「心」が無いと各方面から指摘されるのは信念も国民に対する「愛」が全く無いからである。
それが、突然「国民のために浜岡原発の停止」を言い出したから、当然、既に諸々の対策の目途がついたのだろうと思ったが、やはり単なる人気取りのパフォーマンスにすぎなかった。発表記者会見の僅か40分前に中電に対して一方的に通告をしただけであった。
海江田経産相が5日、浜岡原発を視察した際も中部電には話は全くなかったという。
まるで「原発反対」の声に答えれば落ち目の三度笠、大いに持ち直すと勘違い。浜岡原子力発電所を小道具にした手品をよろうとしたらしい。中部電力こそ、いい面のかわじゃないか。
<浜岡原発の立地上の特異性は以前から指摘されていたことで、東日本大震災後に新たに差し迫った危険が生じたわけではない。
国と電力会社と住民は、これらを十分に理解したうえで、安全な運転について合意してきた。運転停止要請はあまりにも突然で、これまでの合意形成の経緯をも否定するものになりかねない。
浜岡原発を止めることによる電力供給減対策も、説明は不十分だ。住民らの節電で電力不足を乗り切りたいとしたが、運転停止の期間や再開の見通しなど具体的な説明は聞かれなかった。これでは、国民は国のエネルギー政策そのものを信頼できなくなる>という産経新聞の社説は訴えるが、人気回復、政権すがりつき優先の菅首相にとって、その視界に実は国民は存在して無いかも知れない。
<中部電への要請、首相会見の40分前
中部電力が結論を持ち越したのは、浜岡原子力発電所の停止分を補う火力発電の手当てや政府の支援策が不透明な中で、安易に受け入れを表明すれば、株主らの反発が避けられないと判断したからだ。
今回の停止要請は、中部電にとって寝耳に水だった。6日夜の首相記者会見のわずか約40分前、海江田経済産業相から水野明久社長に電話があり、その後、対応に追われた。海江田経産相が5日、浜岡原発を視察した際も中部電には話は全くなかったという。
名古屋市内の中部電本店で7日午後1時から開かれた臨時取締役会には、水野社長、三田会長ら役員、監査役19人が出席。
会議の冒頭、三田会長が「(首相の要請に対し)皆さんの意見や質問を言ってほしい」と提案。出席者が業績への影響や燃料調達の見通しなどについて自由に意見を出し合った。最後に水野社長が「いろいろな意見を持っているようなのでもう一回考えよう」と約1時間半の議論を打ち切った。> 読売新聞
杜父魚文庫
7841 浜岡は菅首相人気とりのの小道具 渡部亮次郎

コメント