今朝の産経政治面のトップ記事は「首相〝菅降ろし封じ〟自信」「からめ捕られる自民・谷垣氏」というものでした。で、記事は、菅首相サイドが自民党執行部でターゲットにしているのが、アンチ小沢色の濃い石破茂政調会長だと指摘しています。
まあ確かに、菅首相を降ろそうとすると、数合わせのために民主党内の反菅勢力、すなわち小沢グループと組まざるを得ず、もれなく小沢一郎元代表がついてくる、という事態が想定されます。それは、かつて新進党などで小沢氏と行動をともにし、それゆえにこそ徹底的な小沢嫌いとなった石破氏や小池百合子総務会長には耐えられない。そこに菅首相がつけ込んで…という構図であるようです。
ただ、じゃあ石破氏は菅首相ならいいのかというと、そういうわけでもないのですよね。文藝春秋6月号に掲載されている石破氏の手記だかインタビュー記事だかに、彼の菅首相観が記されていて、興味深かったので紹介します。以下のような感じです。
《菅さんというのは非情に珍しいことに、自民党の中にファンがほとんどいません。例えば仙谷由人官房副長官のことを、「あれは左翼だ」と蛇蝎のごとく嫌う人もありますが、「リアリストで能力がある」と評価する人もいます。前原前外相にしろ、野田財務大臣にしろ、原口前総務大臣にしろ、玄葉政調会長にしろ、自民党内には彼らのことを「敵ながら天晴れだ」と言う人が必ずいます。しかし、菅総理にはそのような人が、私の知る限り一人もいない。
(中略)菅総理にとって、総理の地位にあること自体が目的なのだとすれば、今の日本にそのような暇はない、と申し上げなくてはなりません。面倒なことは先送り、悪いことは他人のせい、自分は絶対に正しいのだ、という姿勢はこれ以上許されるものではありません》
石破氏は以上のように述べ、民主党議員に菅降ろしの決起を促した後、「私は大連立論者ではなく、政界再編論者です」と自分を位置付けています。石破氏のような見方は、政界では当たり前すぎて別に新味のないものですが、この「常識」が国民にどこまで共有されているか…。
政治はもちろん、人柄で行うものではないし、結果がすべての世界です。しかしまあ、これほど人望がないと、できる仕事もできないのではないかと。私は以前からずっと同じことを言っているのですが、ものには程度の問題があると。しかも、ご本人だけは自分の能力・見識に自信を持っているようですが、周囲にその点を高く評価している人も見当たらないというのは、一つの悲喜劇だと思うのです。
そしてその三文芝居に付き合わされて、一番迷惑を被り、被害を受けるのは国民であると。
杜父魚文庫
7856 自民・石破氏の菅首相観について 阿比留瑠比

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