日本国憲法では国会の議決に基づいて内閣総理大臣を指名するとしているため(67条1項)、首相公選制を導入するには憲法改正が必要になる。 中曽根元首相が1961(昭和36)年に直接の国民投票による首相公選制度
を提唱したことで、知られるようになった。
中曽根氏は当時、河野一郎氏の束ねる河野派にあり、ここに居ては河野氏存命中は首相の座を望めないとおもいつめたのか、全国いたるところに看板をかかげ、「国民運動」として運動を展開した。
全く実現の機運は向いてこなかった。そのうちに1965(昭和40)年7月8日に河野氏が急死。それを機会に「中曽根派」の結成に成功、なぜか運動は尻すぼみになった。それを46年ぶりに大阪をかき回し中の橋下知事が突然、言い出した。
<橋下徹知事「首相公選制」導入を主張
橋下徹大阪府知事は9日、大阪市北区で開かれた憲法施行記念式のあいさつで「国会議員から一国のリーダーを選ぶ権限、人事権を国民の下に取り戻す運動が我が国に最も必要な政治運動だ」と述べ、現行憲法を改正し国民が直接首相を選ぶ「首相公選制」導入を目指すべきだとの考えを示した。
橋下知事は「国政が機能していない」と指摘したうえで「国会議員がリーダーをフリーハンドで選ぶ。だからこそ国民の意思とリーダーの意思が乖離(かいり)する。ここにこそ日本の政治の最大の欠陥がある」と強調した>毎日新聞 5月10日(火)1時31分配信
菅首相と国民の意思が乖離する現下の政局を憂え手の発言か、嘗ての中曽根氏のように「国民的人気さえあれば、派閥の領袖でなくても首相になる道がここにあり」とする彼らしい野望を披露したものか否か、東京に居ては私には確かめようがない。
中曽根氏が獅子吼して居たころ、河野氏や岸元首相らは、主に天皇との関係から実現を不可能と冷ややかに看ていた。
議院内閣制を残したままでの首相公選制には国権の最高機関で唯一の立法機関である国会との関係など問題がある。 また、天皇制擁護の立場からは国民が直接選出した公選首相と国民統合の象徴である天皇との整合性を問題点として指摘されることもある。
国民を直接代表する公選首相は必然的に大統領的性質を帯びるものとなり、日本国の象徴であり、公式見解ではほぼ元首として差し支えないとされている天皇と矛盾しないかといった問題である。
古い友人の政治評論家屋山太郎氏や小沢一郎氏は上記の「国柄」と政局の流動化を理由に導入に反対し、むしろ小選挙区制とそれにともなう二大政党制の浸透こそが首相の権力を強化させ、政治への信頼を高められるとしている。
元首相の小泉純一郎は2001年6月26日に「首相公選制を考える懇談会」を開催し、首相公選制など、総理大臣と国民との関係を検討し、具体的提案をすることとした。2002年8月7日には12回にわたる会議の結果を踏まえ「首相公選制を考える懇談会」報告書が小泉に提出された。このなかで、
1.首相と副首相をセットで国民が直接選出する案
2.憲法に政党条項を導入し各政党が首相候補を明示して選挙を行う案
3.政党(野党第一党と与党第一党)内での党首選出手続きを国民一般に開かれたものにする案の3つが提案されたことがある。
「政党内(与党第一党と野党第一党)での党首選出手続きを国民一般に開かれたものにする案」と衆院小選挙区のセットであれば「皇室伝統と矛盾しない首相公選制」であり既に実現しているといえよう。
首相の地位の強化、三権分立の強化となるため、公選制を提唱する意見も多くある。2000年に発足した森内閣が自民党の一部の幹部による密室で誕生したこと(五人組)から、導入意見が一時盛り上がった。
公選首相と天皇との整合性についても、公選首相を天皇が任命する形式を残す、首相公選制導入と共に憲法を改正し、天皇を元首と明文化する等すればそもそも両者の矛盾は発生しないといった意見から、天皇は日本の元首とはいえないので、そもそも両者の間に矛盾は生じないといった意見までさまざまである。
東京都知事の石原慎太郎は導入に賛成である一方、天皇の元首化は不可欠としている。
風雲児橋下知事の上げたアドバルーン。何処へどうなるやら。大阪「都」論と同様行方はわからないない。流行(はやり)のいいかたでは見通しは不透明だ。参考資料ウィキペディア
杜父魚文庫
7863 首相公選論の再燃 渡部亮次郎

コメント
首相公選など論じるだけでもムダ。
鳩山・小沢民主党に熱狂的に政権を与え、尚且つ現に無能総理に少なくない支持率を捧げる。一体この国の国民の頭はどうなっているのですかね?
普通じゃ無いですね。
この様に実験済みの「愚さ」しか備えていない国民が直接首相など選べば、水着モデル、お笑い芸人、TV評論家風芸人に喜んで投票するでしょう。
首相公選など論じる暇があったら、普通選挙制度を廃止し制限選挙制度を復活させることを考えたほうがよい。もう無知蒙昧の民を国家経営に参画させないほうが本人達の為でもある。