「『急流で馬を乗り換えるな』という言葉があるが、急流を渡れず流されているのであれば、馬を乗り換えなければいけない」という西岡武夫参院議長の菅直人首相批判(4月28日)があちこちで引用されている。いまの政情の核心をついているからだ。
しかし、馬はなお急流にあって、馬脚が川底に届いているのか、危うい。「乗り換えろ」という声だけは政界の方々から聞こえてくるが、力が伴わず、当の馬は馬耳東風だ。政治が空回りしている。
菅首相は浜岡ショックなども織り込みながら、器用に遊泳中と内心自負しているかもしれない。だが、泳ぎ方は、旧来の日程消化型でしかなく、新たな馬力はうかがえない。
3・11の東日本大震災に直面した時のナショナルコンセンサスは、非常事態を乗り切るため、オールジャパンで息を合わせ、即座に超党派・救国の政治態勢を整え、ことに当たることだった。しかし、いまだにそうなっていない。
確かに菅は野党との連携、協力を再三呼びかけ、野党側にもその用意は当然あった。だが、ことごとく失敗した。双方に原因があるが、第一原因は菅の力量、情熱不足だ。
超党派に向けた最初の試みは、自民党の谷垣禎一総裁に副総理兼震災復興担当相としての入閣要請(3月19日)。実現すれば、一気に民・自の大連立である。電話の申し入れに、谷垣が、
「唐突すぎる」と断ったのは、すでに旧聞に近いが、菅を語る時、必ず持ち出される。首相の模範として、菅が敬愛する中曽根康弘元首相は、
「軽率のそしりを免れない。政党同士が組むには水面下でよほど政策を練る必要がある。それがないのに入閣してくれというのは、政党政治を知らない素人のやり方だ」(5月4日付「産経新聞」インタビュー)
と酷評した。菅も自身の未熟を認めているが、国難の時だから谷垣がのまないはずはないと安易に思い込んだか、断れば批判は自民党に向くと計算したか。とにかく、<急流の馬>の資格を欠く。
次の試みは、野党が参加する復興実施本部構想だった。菅は野党の説得を国民新党の亀井静香代表に一任し、亀井は手を尽くしたが、またも頓挫である。自民、公明両党は参加拒否の理由を、
「菅首相への不信だ」とした。構想が亀井の発案とはいえ、菅が本気なら首相自身も熱を込めて当たらなければならないが、谷垣入閣問題と同様、手抜き同然だ。
不信の根が深い。信頼を取り戻さないことには、超党派のメもかすむ。復旧・復興は手間どる。到底急流は渡れそうにない。
長老、75歳の西岡の怒りはよくわかる。一連の菅批判は議長の立場を越えている、という指摘があるが、それは違う。平時ならともかく、この非常時に一政治家として憂国の発言がないほうがおかしい。
西岡の自民党時代、師匠は三木武夫元首相だった。三木と菅は似る、という論評が最近目立つ。首相の座に執着した筆頭として三木の名が挙がり、しぶとさにおいて菅も劣らないのはそのとおりだ。
しかし、三木の真骨頂はほかにあった。睦子夫人が著書「信なくば立たず」(講談社・89年刊)のなかで、1937(昭和12)年の衆院初当選から88年の死の間際まで50年、三木はまったく同じことを言い続けた、と書いている。
「私は政治家だ。人間をこよなく愛する。私の仕事への情熱の原点はこれ以外に何もない」と。人間愛あってこその信、信あってこその政治を、三木は教えていた。(敬称略)
杜父魚文庫
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