7897 パキスタンと中国の「同盟関係」がますます強固に? 宮崎正弘

パキスタンへ最大の援助は米国、つぎに日本。なんで中国がその国と蜜月。パキスタンが「主権侵害だ」と米国のビンラディン暗殺を非難する、その舌の根も乾かぬうちに、中国には次のように媚びた。
「我が国と中国の関係は山よりも高く、海よりも深く、そして鉄鋼よりも強く、見た目よりも親密で、蜜よりも甘い」。
だからパキスタンは米国最新鋭機密の詰まったステルス・ヘリコプターの残骸を、中国に引き渡すことに何らの躊躇いもない。米軍はビンラディン豪邸を襲撃したおり、一機が炎上したため現場に棄却してきた。
南アジアの地政学的要因からパキスタンは、インドに対抗する中国の都合に合わせて同盟し、同時にイスラム諸国と中国との関係進化に協力してきた。パキスタンはその所為でずいぶんと外向的には得点を獲得し、中国から多大な援助をもぎとった。
とくにパキスタンの宿敵であるインド封じ込め戦略に、中国の風圧は効果的であり、政治的手腕の援用、そして中国軍事力の借用と応用、銃器製造ならびに戦車製造工場を中国と合弁でパキスタンは国内に経営している。
ギラニ首相はパキスタンの国会演説で「中国との友好は全天候型であり嵐になろうとも変わることはない」と褒めそやした。
中国はこの“忠実な”同盟国に2010年には二基の原子炉を提供した。これは米国が最新鋭の原子炉技術をインドに提供したことへの当てつけともとれる。
しかしパキスタンの洪水被害では、米国は国際社会からの寄付全体の三割近く、七億ドル弱を寄付したが、中国は僅か1800万ドルだった。
パキスタンのなかにはすでに計算づくだけの中国の行動基準をひややかにみている人々が増えているという。
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 おくやみ 訃報 
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◆花岡信昭さん
花岡さんとは十年ほどの短い付き合いだが、急速に濃密なおつきあいが始まったのは氏が産経新聞を退社されて、長野県知事に挑むという、やや無謀な立候補表明をされ、その壮行会以後である。
ならば田中康夫なるトウヘンボク知事撲滅をめざすという花岡さんを励まそうと有志が発起し、九段会館でのパーティには森嘉郎元総理も駆けつけた。
政治評論から政治家へ転身は明治時代からもよくあり、安部晋太郎、藤尾正行、額賀福四郎、大森理森らの名前がずらりと並ぶ。ところが、その激励パーティの翌日に立候補を取りやめた。
病気がちの母親看病のため新幹線で長野に通っていた。
昨夜(15日)午後九時すこし前に羽田空港へ帰着し、携帯電話のメッセージをみると訃報が入っていた。拓殖大学関係者からで、小生も同大の客員教授。花岡さんは大学院教授。帰宅してパソコンをあけると産経新聞の関係者から夥しくメッセージがはいっており、あまりに突然の訃報に驚きの声が多かった。通夜と葬儀の日程の案内もあった。
いくつかの思い出が走馬燈のように脳裏を横切った。
 
個人的なことを三つほど書く。まず花岡さんの再婚について。メル友から発展して現在の奥さんと再婚したのは、数年前のように記憶する。桜の季節に小生らが主催の恒例花見会は墨田川に屋形船を浮かべ、飲んで騒ぐ,帰路はカラオケ大会になる。多士済々が集まるが、或る年に「再婚三人組」を招いて、それぞれスピーチをして貰ったことがあった。花岡信昭さん夫妻、花田紀凱さん夫妻(ウイル編集賞)、上島喜朗さん夫妻(正論編集長=当時、夫人が再婚)。
花岡さんがべらぼうに歌がうまいと知ったのは、その屋形船のカラオケでの出来事。「道を間違えたのでは? 流行歌手になったほうが良かったのでは?」等と軽口を言いながら、そういえば、花岡さんの親友のひとりは歌手の大月みや子さんだ。
しばらくして台湾の李登輝元総統を訪ねる視察団に花岡さんに加わって貰った。ある晩、時間ができて、急に陽明山温泉に行った。その折に「わたしは低体温だから」と言って入浴を遠慮され、かと言って酒を飲む人ではないので、ひたすら鍋をつついた記憶がある。小生もその夜は飲み過ぎ注意報がでていて(苦笑)、入浴しなかった。当時、台湾の広報官だった張超英氏が車で案内してくれ、ほかに高山正之氏、藤井厳来氏らがいた。
氏はいつも「私はドメセンですから」と言っていたが、海外事情にも詳しく、安全保障問題に関心が深かった。ドメセンというのはドメスティック専門。国内政治分析がエキスパートという意味で、その政局の予測はじつにおもしろく、小生も氏のメルマガの愛読者、よく啓発された。
さて、台湾でも出来事もいくつかあるが、この人、まったく酒を飲まない。代わりにヘビースモーカー。いつも苦虫をかみつぶした風貌なのにユーモアたっぷりで、その上、意外に人なつっこく、そして歌がうまい。
そこで石平さんの出版記念会のおり、スピーチよりも余興で、「十八番を如何ですか?」と誘うと、いくぶん照れ笑いながらもまんざらでもなくて、大ホールの聴衆がふりむくほどに旨く歌われたのが、なんと十分近くも時間のかかる三波春夫の「俵星玄蕃」。赤穂浪士の心情と決意がにじみ出るような謳いぶりにしばし時を忘れた。ともかく義理堅い人だった。合掌。
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  ★読者の声  どくしゃのこえ  ドクシャノコエ  読者の声★
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(読者の声)花岡信昭さんの突然の訃報に驚いています。つい先日までお元気だったと日経BPの記者に聞いていましたが・・・・。
花岡さんには、日本戦略研究フォーラムや日経BP主催の懇親会などで軍事機密情報の管理手法や個人情報保護法関連の談論をさせていただきお世話になりました。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌(KU生、世田谷)
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(読者の声)花岡信昭氏ご逝去の報に接し、あまりに突然郷土の大先達を襲った異変にただただ驚いております。先月、拓殖大学でのシンポジウムに登壇された花岡氏は諧謔を交えた真摯ないつもの語り口でした。
亡くなられた14日。被災地、石巻で眺めた夕陽が鈍く放つ黄金色は面妖でした。心より哀悼の意を表し、心安らかに旅立たれることを祈っております。(長野出身者)
(宮崎正弘のコメント)花岡信昭氏の通夜、告別式は下記の通りです。
 通夜      5月19日(木曜日) 午後六時
 葬儀      5月20日(金曜日) 午前十一時
 場所      いずれも信濃町「千日公会堂」。
杜父魚文庫

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