7920 武田麟太郎夫人の自慢のラッキョウ漬け 古沢襄

毎年、五月は私事で追われる。シベリアで病没した父の命日が五月三日。岩手県の西和賀町では文学碑忌が毎年ある。父も母も田舎の出だから味噌や梅干、ラッキョウは自宅で作っていた。私の代になってドブロクまで造ったが、東京より二度は低いといっても、東北より暖かいからすっぱくなる。
岩手県の宮守村の村会議長だった安部さんの奥さんから直伝のドブロク造りだったが、すっぱいドブロクでは人に振る舞うわけにもいかない。それでも四、五年は造り続けたが、いまはやめている。
梅干はカリカリ梅を漬けるつもりが、どういうわけか柔らか梅。昨年五月に漬けた自家製の梅が台所に鎮座している。その代わり、自家製のラッキョウだけはわが家の自慢の味。
ラッキョウには想い出がある。作家の武田麟太郎夫人は甲府の出だったが、自家製のピリ辛ラッキョウを漬けて来客に振る舞ってくれた。ハチミツと醤油味なのだが、武田邸に行くと母はビンに入れて貰ってきた。
子供心にこのラッキョウ味が忘れられない。定年後、いろいろ試し漬けをしている中にわが家の自慢の味が出来た。朝は静岡から買っている玉露の粉茶を飲んで、自家製ラッキョウをかじるのが日課となった。
福井新聞社を訪れた時にたまたまラッキョウ話となったら「ラッキョウは福井ですよ」と社長から教えて貰って、花ラッキョウをお土産に頂戴した。福井と鳥取のラッキョウは名産。小ぶりなラッキョウだが、名産といわれるだけのことがある。
ラッキョウは中国から日本に伝来した歴史があるが、中国産のラッキョウは敬遠している。戦前はどこの家庭でも梅干とラッキョウを漬けたものだが、いまは市販ものが幅をきかせている。泥つきのラッキョウは六月に出回るが、わが家では五月に入手して、その日のうちに水洗いして塩漬けする。
そうしないで放っておくと、すぐ芽が出てくる。生命力が強い秘めた自然の贈り物だといえる。ビタミンB1の吸収を助け、整腸作用が優れているのはネギ類の薬効といわれてきた。菅内閣にはほとほと呆れることばかりで、いちいち書く気がしなくなっているが、ラッキョウ話を書く時だけは気持ちが安まる。
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