大震災は天災であり、人びとは誰を恨むこともできず天を仰ぐしかない。しかし原発事故について被災者は、東電をうらみ、国のエネルギー政策を批判する。
しかし、一国のエネルギー政策の責任は国が負うべきものだから、なにか不都合があったときには、まず国がその責めを負わなければならない。補償金は「まず東電が払え、足りなければそのときは国が面倒を見る」というのは、順序が逆だろう。
遡れば、わが国の原子力発電の原点は、1954年3月、当時改進党にいた中曽根康弘氏らが原子力研究開発予算を国会に提出したことにはじまる。
このときの予算学は2億3500万円。ウラン235にちなんだ語呂合わせだったといわれる(ウィキ)。ふざけた話だ。翌年12月、原子力基本法が成立。時の総理は鳩山一郎(自民)だった。
福島原発1号炉が営業運転開始を開始したのが1971年3月26日、丁度40年前のことだった。以降数十年、原発の安全管理・監督についても、政権が東電の後押しをして「安全神話」を作り上げ、日本は原発大国を目指してきた。つまり、自民党こそが最近の数年を除けば、原発の産みの親であり、育ての親でもある。
それだけでなく最近では、吉井秀勝衆議院議員(共産党)が、2006年から2010年4月にかけて3度にわたって、福島第一原発を含む43基の津波対策の不備を指摘。
冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告したのに対して、安倍総理は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はない」「多重防護でメルトダウンというようなことを起こさせない、このための様々な仕組みをつくっている」(2006年12月)と答弁している。
2010年4月には政権をもぎ取った民主党の直嶋正行経産大臣(鳩山内閣)までが「多重防護でメルトダウンというようなことを起こさせない」と啖呵をきっている。
http://melma.com/backnumber_108241_5168029/
安倍、直嶋両氏のコメントを聞きたいものだ。
原発の推進は国策であり、国が必要な法の整備を行い、安全基準を作り、安全性を管理監督してきたのもまた国である。つまり国はメシの献立から箸の上げ下げまで口を出してきた。
電力会社に地域独占を許す見返りに、自民党は毎年多額の政治献金を吸い上げ、官僚数十人が天下って、政・官・業べったりの構図が出来上がっていった。
この間、政権を担当してきたのはいうまでもなく、自民党であり、それをいいことに気がついてみれば、電力会社の社長の年俸は7千万円というやりたい放題、べらぼうな経営を許してきたのだった。
東電は補償金捻出のため1兆円を超える資産を処分すると報じられている。それは当然として、エネルギー政策の鬼っ子を生み育ててきた当時の政権政党が、遡ってどこで間違ったのか、いまだに党としてのエネルギー政策の検証もせず、反省の素振りも見せないのは不思議なことである。解せない。
4/23の衆院の震災復興特別委員会で党首が事故後のちまちました対応を、鬼の首でもとったように攻め立てている。
現政権にしてみれば、出来の悪い、金遣いの荒いどら息子がしでかした不始末の尻拭いの仕方が悪いとを叱られているようなものだ。「あんたに言われたくない」という心境だろう。
不信任案を出すなら、党として総括をまず明らかにすべきだ。いずれ、総選挙になれば、原発をどうするかが大きな争点になるだろう。知らぬ顔の半兵衛で逃げ切ることは出来まい。
独裁国家ではないわが国では「甘い安全基準」を作り、運用してきた政権を選択してきたのは、ほかならぬ時の有権者である。その意味で、税金であれ電気料であれ、全国民が応分の負担をするのが議会制民主主義の筋というものだろう。
福島原発1号炉はGEの設計である。非常用電源であるディーゼル発電機はタービン建屋の中にある。原子炉とワンパッケージで設計されていたものをそのまま採用したところに間違いがあったといわれる。
津波のリスクを甘く見た設計だった。アメリカには津波はないからだ。津波のリスクが高い日本仕様に設計を変更して「ディーゼルを山の上にもっていっていれば事故は防げたはずだ」と専門家(豊田正敏元東電副社長)はいう(5/22TV朝日「フロントライン」)。
一般の国民にそこまで求めるのは無理だが、日本の原子力専門家は何をしていたのか、また政権政党の総括と同時に、当時のマスメディアに責任はないのか。メディアが総括をしたという話しも聞かない。
地元被災者に対しては、いま言うに忍びないが、安全神話を信じ込ませるために注ぎ込まれた交付金や税金は7000億円に上るといわれる。問題となっている原発が廃炉となった場合、現地自治体はこの恩恵を受けることが出来なくなるだろう。地元農・水産が復活しても立ち行かないのではないかといまから心配である。
杜父魚文庫
7923 産みの親が検証・反省しない不思議 石岡荘十

コメント
<東電は被害者である>
大震災で発生した福島原子力発電所事故で何故か東電が悪者として批難に晒されている。
これはマスコミの風評被害であるから、東電は損害賠償を全国の新聞発行者とTV屋、無責任な評論家に是非請求すべきである。
また当該発電所設計の際、当然地震学者が発生する地震・津波の規模を予想しそれに基く設計がされている。当時関係した地震研究者も東電から被害請求をされても当然である。
無知無責任マスコミに踊らされる日本国の愚民も頭を冷やしてよく考えろと言いたい。いいですか、
①事故原因は東電の過失ではなく、自然災害である
②発電設備は国家規準に基き設計され、検査も受け、運転、保守も法律に決められたように実施されている
③事故後の処理に問題があるとすれば、無能・でしゃばり・嘘つき・無責任というおよそ一国の経営には不向きな政党と内閣にある。
以上述べたように、東電はたまたま自然災害の当事者になってしまっただけであって直接の責任は全くない。東電は東北三県の被災者と同じ、気の毒な震災被害者である。
最近無能政府と御用マスコミ、御用評論家から安易な東電解体論や電力会社の発電・送電分離案などが出ているが、これは全く亡国の論理である。
こういうバカを言う者は世界の発電事情に全く無知・蒙昧だからである。
先進国を含め、日本ほど安定した、高品質な電力供給システムを維持できている国はない。これは発電と送電が一体化していてはじめて実現できることなのである。
国民は電力会社の経営者、技術者、現場で働く人々に感謝すべきである。解体・分離論は電力企業単価を下げ、ハゲタカファンドに日本国を供し易くするだけのことである。
経済産業省はTechnology Literacy無き愚民、左翼政治家、マスコミ、評論家の無責任な議論から東電を守り抜くべきである。それこそが「御国の為」なのである。
最後に言われ無き批判にもめげず、黙々と事故処理にあたられている原子力安全保安院、東電、関連会社の皆様に一国民として感謝と激励の気持ちを表します