8040 「やませ(山背)」のこと  古沢襄

六月中には岩手県の菩提寺に行くつもりなので、あいさつ代わりに茨城産のメロンを送っておいたら、和尚の奥さんからお礼の電話があった。それにしても六月をなかば過ぎたというのに涼しすぎる。こんな涼しすぎた夏の記憶がある。
一九八二年夏に初めて岩手県の沢内村を訪れた。少年時代を母の実家がある信州・上田市に疎開して過ごしたので父の故郷は知らなかった。盛岡からマイカーで北の山伏峠を越えて沢内村に入ったが、私が初めて来るというので親戚・知人が歓待してくれた。あれから三〇年近い歳月が去っている。
この旅のことを文学同人雑誌「星霜」23号に書いていた。「オーロラが輝いた村の旅」と題した雑文だが、書き出しは
<<北極でしかみられないオーロラが、二〇〇年昔に東北の村で輝いた。父の故郷であるその村に初めて訪れた。えみしの後裔が住む伝説の村である。>>
明和七年七月二十八日夜、このあたりの北の空は、日没後赤くなり、次第に広がって、満天残るところなく火のように赤くなった。オーロラを知らない村人たちは、不吉の前兆としておそれ、おののいた。この年は寒冷化の影響で不作、農民は飢えに苦しんだ。
それから十年たち、ようやく平年作が続いた頃、浅間山が千百年ぶりの大噴火を起こして噴煙が太陽の輝きを覆い隠した。平均気温が三度も下がり、六年続いた”天明の大飢饉”が始まって、奥州だけで十万人の餓死者を出した。
村の東に田圃に囲まれた共同墓地がある。この村で三百年生きた先祖が眠っていると、親族の古沢和子さんや古沢政夫氏が連れていってくれた。共同墓地は昔のままの檜(ひのき)と桜、杉とクルミの巨木に囲まれていた。新町小学校の先生だった和子さんに「寒いですね」と言った覚えがある。夏だというのに、秋の深まりを思わせる涼しさで、背広の上衣が離せない。
東北の旅が終わって、横浜に戻ったら和子さんから手紙がきて、あの涼しさは何十年に一度という異常低温だったと知らせてくれた。村の稲はほとんどが実らないので、青い穂のまま刈りとられているという。「やませ」なのでしょうと、手紙は結んであった。
信州で育った私には「やませ」は初めて聞く言葉であった。ウィキペディア(Wikipedia)に<<海から上陸する「やませ=やませ(山背)」とは、春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)のこと。
特に梅雨明け後に吹く冷気を言うことが多い。 やませは、北海道・東北地方・関東地方の太平洋側に吹き付け、海上と沿岸付近、海に面した平野に濃霧を発生させる。やませが長く吹くと冷害の原因となる。なお、オホーツク海気団と太平洋高気圧がせめぎあって発生する梅雨が遷延しても冷害となる。>>とある。
ことしの異常な涼しさは「やませ」の前兆なのだろうか。いずれにしても背広の上衣を忘れずに東北旅行に出るつもりでいる。
杜父魚文庫

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