8063 牛を殺さない「希望の牧場」構想  岩見隆夫

この非常時に政治家は何をしているのか、政争にうつつを抜かしている時か、という声を毎日のように聞いている。菅直人首相の辞める・辞めないゲームにはほとほとあきれ果てる。
だが、そういう政治家ばかりではない。民主党当選一回の新人、高邑勉衆院議員(比例中国、三十七歳)が、「牛です。福島第一原発の二十キロ圏内(警戒区域)には多くの牛が取り残されているが、このままでは餓死か安楽死(殺処分)しかない。あまりにもかわいそうです。飼育者にとっては家族同然ですから。殺さずに生かして放射線の影響の研究に役立てる道があるじゃないか。それが〈希望の牧場〉構想です。なんとしても実現させたい」
と熱っぽく語るのを聞いたのは先々週、ある会合の席だった。すでに五月十二日、原子力災害対策本部長(菅首相)から福島県に対し、警戒区域内の家畜について安楽死処分をするよう指示が出ている。それを避けるのにどんな方法があるのか。
3・11の直後、高邑さんは南相馬市に出向いた。桜井勝延市長の手伝いをしながら、郷里の山口県上関町に中国電力が計画中の上関原発について考えてみたいと思ったからだ。しかし、それどころではなくなる。気がついたら四十数日も居つき、いまでは〈南相馬担当〉を自任している。
圏内に残された家畜の生死が大問題だった。桜井市長はまず、「馬を助けてくれ。馬追い行事の馬を殺してしまったら相馬は立ち直れない」
と言った。高邑さんが枝野幸男官房長官に掛け合うと、食用に供しないことを条件に二十キロ圏内の約百頭を移動させ南相馬市の管理下に置くことが認められた。
次に豚約三万頭。養豚農家から、「殺してしまうのでなく、放射線の影響についての調査、研究に役立ててほしい」と要望が出され、結局、東大附属牧場が必要に応じ種豚として受け入れることが決まった。
難問は圏内の牛だ。約三千五百頭いたのが、餓死、逃走、殺処分などで二千頭ほどに減っている。四月下旬ごろ、高邑さんは桜井市長と対策を話し合い、
「とりあえず生かそう」という結論になった。〈希望の牧場〉構想の始まりだ。高邑さんがまとめた企画書によると、
〈殺処分は飼育者の家族同然である動物への愛情を無にし、心の傷を深め、命の尊厳や動物福祉の理念に反する。国際社会の反発、批判は免れない。学術研究の視点からも被曝動物を保護観察下に置き、生きたまま国際的な研究に生かしたい〉
とし、(1)国際世論に応える(2)科学的学術研究に貢献する(3)道徳教育に寄与する、の三つを目的に掲げている。しかし、
「ハードルは高い」と高邑さんは言う。決定権を持つ鹿野道彦農水相は五月十六日の衆院予算委員会で、
「学術的な意義など公益性が認められ、食用にしないなど一定の条件を満たせば家畜の生存を検討する」と答弁したが、農水省は乗り気でないという。同じころ、高邑さんは菅首相を直接訪ね、
「現地では殺処分総理と言われていますよ。汚名を残すことになる。牛を生かして役立てるのを認めてください」
と談判した。安楽死を指示したばかりの菅さんは、「どうすればいいのか」と言うので、「農水省に指示してほしい」
と頼んだという。しかし、その後、何の反応もない。退陣時期をめぐる綱引きで、それどころではないということだろう。
◇菅さん、このままでは
◇殺処分総理の汚名残す
だが、機運は盛り上がっている。協力する学者、研究者の動きも活発で、森田茂酪農学園大教授、佐藤衆介東北大大学院教授、吉川泰弘北里大教授らは〈原発被災動物研究センター設立の要請〉という要望書を五月二十五日付で菅首相に提出した。
また、〈希望の牧場〉構想のモデルになる候補地も内定している。牛の移動に伴う風評被害を避け、研究環境の保存のためにも警戒区域内に設ける方針で、南相馬市と浪江町の間に位置する農業生産法人〈エム牧場〉が第一候補だ。二十ヘクタールの放牧地に、いまも約三百頭の牛が放牧されている。社長の村田淳さん(五十六歳)は、
「構想は学術的にも貴重だし、原発事故を後世に語り継ぐためにも実現してほしい。牛も土地も建物も全部提供して構わない。とにかく、殺処分された牛たちが農場に埋められる光景だけは見たくないですから」と全面協力の姿勢だ。
二十キロ圏では、南相馬市だけでなく、富岡町、楢葉町も、「うちも殺したくない」と〈希望の牧場〉構想に同調の構えだという。
モデル牧場を運営するには、年間二千万円の資金(うち三百頭生存のための最低限の餌代一千万円)が必要と試算されている。事業を十五年計画とし、圏内に生存する牛を二千頭とした場合、二十億円の予算規模になる。高邑さんたちは広く支援を求めるため〈動物基金〉の創設を検討中だ。昨年春、宮崎県で発生した口蹄疫では、県が義援金を募ったところ三十五億円の浄財が集まった例があるので、期待しているという。
ところで、安楽死には畜産農家の同意が必要である。先の村田社長ら同意を拒んでいる農家は相当数あって、国にも県にも無理強いして殺す権利はない。政府は一片の殺処分指示書で片づけるのではなく、どうすれば殺さないですむか、という発想に切り替えるべきではないか。
高邑さんは、「みなさん、牛飼いの誇りにかけて殺せないという人がほとんどです。殺すも生かすも政治判断だが、そこに政治の心があれば農家も救われる。希望につながる。福島を家畜と放射線研究の拠点にして、成果を世界に提供すればいいのです」と言った。菅さん聞いたか。心があるか。(サンデー毎日)
杜父魚文庫

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