朝日新聞が社説で松本復興担当相の脱線発言を厳しく批判した。
九州の博多に三年住んだが、部落解放運動を草創期から指導した松本治一郎氏の名が高かった。東京で社会党を三年担当したので最左派の平和同志会の議員から松本治一郎氏の名は聞かされていた。たしか論客だった楢崎弥之助氏は松本氏の秘書を経て国会議員に当選、夫人は松本氏の長女だった筈。
松本龍氏は松本治一郎氏の養孫。六月の内閣不信任決議案が否決された翌日、菅首相の退陣時期について「復旧復興を急がないといけないということから言えば菅内閣は一日も早く退陣した方がよい」と正論を吐いていた。
そのことと復興担当相を引き受けたことの整合性がとれない。左翼貴族の”甘ったれ”が露呈したということではないか。
<復興相発言―こんな人では心配だ 「私の心はただひとつ。被災者に寄り添うことだけ」 初会見でのこの言葉は、何だったのか。
松本龍復興担当相が就任後初めて訪れた東日本大震災の被災地で、いきなり脱線した。政府の復旧・復興への取り組みを約束すると思いきや、岩手、宮城両県知事に対し放言を重ねた。
いわく「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない」。
いわく「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」。
この上から目線は何なのだ。政府と自治体は「上下・主従」でなく「対等・協力」の関係であることを知らないのか。
もちろん復旧・復興の主役は被災者であり、その自治体だ。何でも政府に頼るのではなく、みずから青写真を描く責任がある。だが、財源も権限も情報も握る政府がそれを支えてこそ、作業は円滑に進むのだ。
松本氏は「九州の人間だから東北の何市がどこの県とかわからない」とも言った。3カ月余り、防災担当相として日夜、東北の地図を見つめてきたなら、こんな軽口はたたけまい。
極め付きが、宮城県の村井嘉浩知事への叱責(しっせき)だ。
後から県庁の応接室に入ってきた知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ」と言ったばかりか、取材する報道陣にも「今の言葉はオフレコです。書いたら、その社は終わりだ」と続けた。
相手が旧知の知事だという気安さはあったろう。復興相専任になったばかりの気負いもあったのかもしれない。 だが、こんな発言はあり得ない。そもそも松本氏は「客」ではない。被災者とともに汗をかく役割を担っている。それに松本氏に、知事の後ろにいる被災者の姿が見えていれば、あんな言い方はできっこない。
こんな人物が復旧・復興の司令塔として適任なのか。とても心配だ。野党は一斉に批判しており、またぞろ菅直人首相の任命責任も問われそうだ。
松本氏は環境相だった昨年、日本であった国連地球生きもの会議(COP10)の議長として、名古屋議定書をまとめ上げる成果をあげた。そんな政治力が期待されただけに、この展開は本人にも不本意だろう。
松本氏はきのう「被災者を傷つけたとすれば申し訳ない」と述べた。あすからの国会でも責任を問われる。約2週間ぶりに再開される国会で、こんな話題が出ること自体が腹立たしくてならない。 (朝日)>
<松本龍震災復興担当相が宮城と岩手の両県知事と会談した際の言動について、自民党宮城県連は4日、被災地の人間の感情を逆なでするもので容認できないとして、真摯(しんし)な謝罪を求める抗議文を松本復興相宛に発送した。
須田善明幹事長は「復興、再生に携わるすべての人の心を踏みにじる発言」と怒りをあらわにし、松本氏が同日謝罪したことを取り上げ「『もし傷つけたとするならばおわび申し上げる』だったが、すでに傷つけている。その感性自体が理解できない」と批判した。同党県連には「発言を許すな」という声が100件以上寄せられているという。(産経)>
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