8137 感謝してご冥福を祈る、東シナ海のF15イーグル 西村眞悟

七月五日、高松にいたとき、航空自衛隊那覇基地所属のF15戦闘機が、訓練中消息を絶ったという報道に接した。それ以来、毎日、F15のことを思う。そして、九日が経過する。
よって、この通信に於いて、七月五日午前十時三十三分、那覇北西百八十五キロの洋上に於いて、戦闘訓練中に殉職したF15イーグル操縦士、川久保祐二空軍少佐の死を悼み謹んで哀悼の誠を捧げたく!
 
私は、F15イーグル戦闘機による戦闘訓練が如何に過酷か、その一端を実感している。川久保祐二少佐らは、遙か東シナ海洋上に於いて、その戦闘訓練を行っていたのか。それを思うと、深く敬意を表し、まことにご苦労様でしたと申し上げる。
そして、我が国家にとって、熟練のF15パイロットを失ったことは、まことに大きな国家の戦力の喪失であることを思い、
同時に、川久保少佐の残されたご家族の悲しみ如何ばかりかとお察しする。悲しいが、この戦闘機が水面に墜落すれば、搭乗員の五体は肉片となって四裂し、ご遺体は戻らないだろう。
このF15熟練パイロットという国家の戦力の損失とご遺族の悲しみ、まさに、痛恨の思いである。川久保少佐も、かつて、多くの神風特別攻撃隊の若者が戦闘機を操縦して突っ込んだ沖縄周辺の東シナ海に眠られることとなった。
以上、哀悼の意を表し、さらに、川久保少佐が殉職した東シナ海海域で、我が国のF15が戦闘訓練をすることが如何に我が国の国防上重要な意義があるかを強調したい。
那覇基地のF15の存在が、中国に対する大きな抑止力となっているのである。従って、東シナ海でF15行方不明との初めの報道に接したとき、「F15が東シナ海で飛んでいたのか、よくやっていてくれた、ご苦労様」と言う思いが湧いた。と同時に、F15のパイロットが生還する確立は極めて低いと痛恨の思いがした。
ところが続く報道で、那覇市長や豊見城市長が、那覇基地を訪れ、F15飛行の安全を確保せよと抗議したという報に接した。その時、正直言って、こいつら馬鹿かと思った。卑劣だと思った。
市長として人間として、哀悼の意と感謝の意を表すべき時に際し、マスコミを引き連れて「抗議」とは何事か。那覇基地とF15の存在が、如何に沖縄を、そして日本を守っているのかを少しは考えろ、と言いたい。そうすれば、この度の事態に地元の市長として対処する姿勢も分かるはずだ。
もっとも、我が国では、これらの市長が、標準で常識なのかも知れない。我が国の常識は世界の非常識と言われる。二年前の総選挙では、一か月前には国の政治のことなど考えたこともないチルドレンが、「生活第一」と「政権交代」と「官僚批判」を言うだけで当選し、鳩山、菅という痴呆と馬鹿が総理を続けてきているのであるから。
F15は、人間の体の限界を超えたジェット戦闘機である。普通の人間の体は、9G(体重が九倍になること)以上の重さには堪えられない。しかし、F15は簡単に9Gを突破する。従って、F15のパイロットは、現役のボクサーや現役の柔道選手並みのトレーニングを続けていなければならない。何しろ、F15は、離陸して上昇し水平飛行に移るときに体重が四倍になる(4G)。
この度の川久保少佐は四機のF15の一機として9時五十九分に那覇基地を離陸し、それぞれ二機づつ敵味方に分かれて戦闘訓練(ドッグファイト)を行ったという。彼らは9Gの世界で訓練していたのだ。
私は、平成十一年一月、百里基地でF15に搭乗させてもらった。その時、離陸して急上昇し、水平飛行に移るとき機は百八十度反転し頭の上に地面が見えた。その時4Gだった。そして水平飛行に移ってからまたくるりとF15が反転し頭の上が空に戻った。
その後、敵味方に分かれて戦闘訓練にはいったが、その訓練中の急旋回、急上昇、急降下の中で8Gを体験した。自分の体内の骨が軋む音が外からではなく内側から聞こえた。
私の飛行記録は、最高スピードマッハ1.12、高度四万二千フィート、マックスG8.0、だった。約一時間の搭乗を終え滑走路に降り立ってマスクに貯まった汗を流しながらヘルメットとマスクを脱いだとき、柔道の寝技を強い相手と一時間以上行った後のような全身の疲労を感じた。
それでも私の搭乗機は、F15の能力の二分の一を使っただけだった。F15の最高速度はマッハ2.5で、これが川久保少佐らの行っていた本当の戦闘訓練のスピードなのだろう。F15とは人間の限界を超えた戦闘機である。
搭乗後、基地内で何故急上昇して水平飛行に移るときに裏返るのか、と尋ねると、そのままの姿勢で水平飛行に移ると、頭が天井に激突するからだという返事だった。
報道によれば、川久保少佐は、十時二十九分、訓練中止を要求し、四分後に機影がレーダーから消えた。その四分の間、彼は過酷なオーバーGの中で機体を墜落させまいと闘っていたのだ。ベテランのパイロットが死力を尽くしていた。そして、パイロット人生でただ一回の墜落を経験した。
帝国海軍の潜水艦の中で殉職した佐久間艇長は、艇の事故原因と改善策をメモに残すことができた。しかし、F15の川久保少佐には、その時間も与えられていなかった。
さて、F15イーグルは、アメリカのマグダネル・ダクラス社製の戦闘機で1233機製造された。日本には200機以上配備されている。
このF15を保有しているのは、日本とアメリカ、イスラエルそしてサウジアラビアの4カ国だけである。実戦に使用したのは、第4次中東戦争以後のイスラエルであり、一方的に多くのシリアのミグ21を撃墜した。実戦で撃墜されたF15は無く高い生存性を誇っている。
そこで、この最新鋭のミグ戦闘機と闘って負けなしのF15イーグルを我が国が二百機以上保有し、那覇基地から飛び立ったF15が東シナ海で戦闘訓練をしている。
このこと自体が、既に我が国の領土領海を中国から守っているということなのである。かつて能登半島沖に侵入した北朝鮮の工作船を海上自衛隊が追いかけていたとき、北朝鮮はミグ戦闘機二機を我が国に向けて飛ばしてきた。しかし、小松基地からF15をスクランブル発進させると、ミグ機は我が国の防空識別圏からユーターンして引き返していった。
このことを思い起こし、現在東シナ海全海域で日本海の小松基地と同じ機能を発揮しているのが那覇基地のF15であることを認識すべきである。従って、殉職した川久保少佐らの訓練が如何に大切な国家のための訓練であるか思いを巡らせていただきたいのである。
なお、私自身、このことで恐れ入ったことがあるので書き加えておきたい。平成9年5月、私は石垣島から船で尖閣諸島魚釣島に行った。別に秘密にすることではないので、警察から内閣調査室に出向していた知り合いにも、顔を立ててやる意味で、乗る船は言わなかったが、
「明後日くらい、東シナ海は晴天やで」と言ったりして知らせてから行った。その時、航空自衛隊の那覇基地の指令は空将の佐藤守さんだったが、現役退任後話をしていると、西村の尖閣上陸の時は、司令として那覇基地には万全の体制をとらせていたのだとおっしゃった。
あの時那覇基地にあったのは、F15イーグルではなくF4ファントムだったと思うが、佐藤閣下からその話を聞いたとき、尖閣に向かう4.5㌧の小舟の上の自分がお釈迦さんの手のひらの上で暴れていた孫悟空のような存在に見えたものだ。そして、広大な東シナ海を睨んでいる那覇基地の存在と佐藤閣下の万全の体制の指令が、実にありがたく心にしみた。
東シナ海は、あの時も最前線だった。その時より遙かに深刻さを増す東シナ海の最前線にあって、過酷な、まことに過酷な戦闘訓練を続け、その洋上に於いて7月5日午前10時33分に殉職された、川久保祐二少佐に敬意を表し、感謝し、心からご冥福を祈り申し上げます。
追記
菅直人総理は、東日本被災地に、自衛隊を十万人投入することを指示して事足れりと、以後無関心であったと思う。
しかし、総数二十余万の自衛隊の内、十万人が東日本に投入されても我が国が安泰だったのは、東シナ海に於いて川久保少佐らが猛烈な戦闘訓練を実施していたからである。
実に、東日本の救出と復旧を支えていたのは、遙か離れた東シナ海、また日本海に於いて我が国のプレゼンスを示し続けてくれた川久保少佐とそんほ同僚の御陰である。我が国は、このような厳しい国際環境の中に存在しているのだ。
杜父魚文庫

コメント

  1. 御所冥を祈る より:

    近くに自衛隊基地があり、自衛隊の官舎がある。
    毎日、自転車で通勤する自衛隊に目礼をしている。
    今回の東シナ海の海上訓練中の事故、人知れずお亡くなりになった。
    しかし、我々はどんなに離れていても、我々の生活、生存にとつてかけがえのない人々のことを感謝する想像力を持つ必要がある。 すべては繋がっている。
    日々日本の中の英雄たちが頑張ってくれているおかげで日本という国があるのだ。
    そのことに感謝しなければならない。すなわち、老人、女子供を助け、暑さの中でしっかりと自分の持ち場で努力するのだ。 それがすべてつながって日本国を形作るのだ。
    どこにも英雄はいる。
    あなたのそばにも必ずいる。

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