昨日のことですが、参院予算委員会での自民党の山谷えり子氏の質問が興味深かったので少し紹介します。質問の中の、アレの違法な外国人献金受領の件や、アレの資金管理団体が拉致容疑者親族の関係団体に巨額の寄付を行っていた件は紙面で大きく取り上げていたので、それ以外の点で。
現内閣には、アレを初めとして平成11年の国旗国歌法案採決時に反対票を投じた閣僚がごろごろいるわけですが、山谷氏がそれぞれに理由をただしたのです。その回答を聞きながら、みんな少しずつ、都合のいいように誤魔化しているなあと感じた次第です。
今の立場では、「君が代」は嫌いだと、どうしても口に出して認めたくはないということでしょうね。以下、そのやり取りに私の所感を付け加えたものです。
山谷氏)国旗国歌法にどういう気持ちで反対したのか
アレ)国旗国歌法については長い経緯について何度も説明したが、その時は党として国旗についての法律を対案として出したが、結果としてそれが採決されない中で、党として自主投票にいたしたと記憶している。
……何も答えていないに等しいですが、アレは当時の新聞には「君が代は天皇主権時代の国歌だから」と本音を語っています。また、この「対案」が彼らの本心を示しているといえます。朝日新聞出版から出ているインタビュー本の中で、アレはこう経緯を説明しています。
《この問題は若干経緯があります。わが党は対案を出したが、それは国旗については認めるが国歌は見直そうというものでした。簡単に言うと国旗は歴史的にもデザイン的にも非常に親しまれている。しかし、国歌は何となく元気が出ないし好き嫌いもある。だから見直すことを党議で決めた。》
……党議拘束をかけた段階で、「君が代」は見直すと決定していたというのは重要なポイントですね。当時、代表だったアレのスタンスがここに表れています。結局、この対案が否決された段階で、国旗国歌法案に関しては自主投票となったのですが、本音は隠しようもありません。
そして、この日の丸はいいが君が代はダメという主張は、私がずっと前に故槙枝元文日教組委員長にインタビューした際に聞いたものと同じ論理です。根っ子を共有しているのか。
山谷氏)枝野幸男官房長官はどうして反対したのか
枝野氏)これは私の法律家としての感覚では、一般の学説と違うかもしれないが、国会における明文法とそれと慣習法ではどちらが強い法律であるか。 国会における明文法は衆参両院の2分の1で変えることができる。しかし、わが国の国旗が日の丸であり、国歌が君が代であることは国会の多数をもっても変えられないむしろ定着した慣習であると思っていて、こうした定着した慣習についてあえて明文法にすることはむしろ強い慣習法としての効力を弱めることになると考え、あえて明文法にせずに慣習法としてより強い力を持つべきと考え反対した。
……枝野氏は弁護士らしく、成文法にせずに慣習法にしておいた方がより日の丸・君が代のステータスが高かったからだと理屈をつけていますが、でもこの言い分は、それ前の段階で、民主党が「君が代」は見直し、他の国歌をつくると決めていたこととどう整合性をとるのでしょう。
この人も、仙谷由人官房副長官と同様、法匪的な詭弁を弄するのがうまいだけで、答弁に誠意は全く感じられませんね。
山谷氏)江田五月法相はなぜ反対したのか
江田氏)民主党が修正案を出して、その修正案が否決されたので反対した
……若いころは歴とした社会主義者だっただけあって、こっちの方がいくぶん、ストレートです。それでも十分誤魔化していますが。この学生時代に自民党本部に乱入し、逮捕された(不起訴処分)ことすらある人物は、より確信犯的なにおいがします。
山谷氏)大畠章宏国交相はなぜ反対したのか
大畠氏)私は学生時代から剣道部であり、常に国旗に対して敬意を表してきた。従いまして、世界中でもすばらしい国旗と思っている。ただ、法律で決めると、こういう以前に私は国民からまさに信頼と尊敬を受ける国旗・国歌であってほしいと思っていて、法律というのがなじむのかなじまないのか迷った結果、そのような決断になった。
国旗であれば、当然ならば賛成した。国歌というものが非常に重要なものであるが、様々な歴史がある。そういう意味で、みんなが理解しやすい国歌があってもいいのではないかと。そういうものをいろいろと逡巡しながら、最終的には指摘のような判断になった。
……前段の理屈と、後段の理屈の関係が微妙に矛盾しているというか、不明瞭な感じがします。まあ、「法律になじむ」かどうかなどと言っていますが、要は「君が代」は嫌いだったし、国民から信頼と尊敬を受ける国歌にはふさわしくないと考えていたということでしょう。
山谷氏)海江田万里経産相はなぜ反対したか
海江田)私は枝野さんと同じ。
……枝野氏の言い分を「うまい」と思ってパクったんだかどうだか、少し投げやりな感じですね。この人が20日の衆院予算委で、司馬遷の「死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛より軽し」を引いて、アレの存在の耐えられない軽さを堂々と指摘したときはちょっと感心したのですが、まあこの人も軽い才子にすぎない気もします。
話は飛びますが、アレの伸子夫人はアレが就任した直後に出版した著書の後書きで、こう書いています。
《菅に世間の空気を送り込み、裸の王様にしないのが私の役目のひとつでしょうか。これからも、日本一うるさい有権者であり続けたいと思います》
私の見る限り、アレは昨年9月下旬にはすっかり「裸の王様」になっていたと思います。その後もずっと裸のままで、目をそらさずにはいられません。なのでいいかげん、伸子夫人にもその役目とやらを果たしてほしいものですが、もう何か、政治に希望を持つのも空しいような今日この頃ですね。
杜父魚文庫
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