8200 岡田は「マジメの迷路」 岩見隆夫

日夜、政治家が演じる駆け引きは、表芸、裏芸あって、一種のドラマなのだが、ドラマである以上、見せ場が肝心だ。
<苦境の岡田>などと報じられる。政局舞台切り回しの主役である民主党の岡田克也幹事長にとって、<殿、切腹の場>がそろそろ終演に近づいた。
苦境も見せ場の一つ、そこからどんな立ち回りでフィナーレにつなぐか、観客は息を詰めている。喝采となれば、次の<新殿誕生の場>でも主役が約束されるかもしれない。
昨年、外相のころ出版した「岡田語り。」(武田ランダムハウスジャパン刊)という本のキャプションは、<これからは、マジメが日本の未来をつくる!>だった。異存ないが、余韻に欠ける。マジメを売りにされると、不マジメを装ったマジメもある、などと言いたくなる。
特に6月2日、菅直人首相が退陣表明したあとの岡田は、精彩がない。直後のNHKテレビ<日曜討論>では、こう発言した。
「(退陣表明直前の菅首相と鳩山由紀夫前首相の会談に)私は同席していたが、(菅は)『辞める』とは言っていない。(鳩山は)『身をお捨てに』とは言った。しかし、それは『辞める』という意味と、『身を捨てる覚悟でしっかり頑張る』と二つある」
一般論はそうだが、詭弁(きべん)だった。あの場面で、鳩山が「頑張れ」と励ますはずがない。岡田は代表(首相)を補佐する立場と、退陣の道筋をつける役割のジレンマにはまりかけた。マジメ故の迷路である。
しかし、迷いがふっきれたかのように、7月21日、岡田は、09年衆院選マニフェスト(政権公約)について、「見通しの甘さがあった。国民に率直におわびしたい」と陳謝した。<退陣3条件>を満たすため、自民、公明両党に屈した瞬間だった。
だが、なおも渋滞が続いている。党内からは、菅に近い北沢俊美防衛相が、「原理主義者が急に謝罪主義者になっても、成果は上がらない」と酷評すれば、小沢一郎元代表も、
「おかしな言動だ。国民も100%やれと思っていないだろうが、最初から間違っていた、では全くのうそつきになる」と頭ごなしだ。
非難の矢面に立つのは、苦境ではない。見せ場のチャンスでもある。
98年4月の民主党結成から13年余、岡田のポジションは政調会長代理、政調会長、幹事長代理、幹事長、代表、副代表、外相、いまの幹事長と、鳩・菅・小トロイカ体制を支えながら、たえず中枢にいた。60歳代のトロイカに次ぐナンバー4、58歳である。
だが、ポスト菅の下馬評に岡田の名前がほとんどあがらない。自民党時代から幹事長は後継首相の最有力候補と決まっていた。そうならないのは、チャンスを生かし切っていないからだ。
菅首相と再三、2人だけの会談を重ねながら、退陣時期が詰まらない。刺し違えるような緊迫感も伝わってこない。<マジメの迷路>が続いている。
政権奪取の少し前、岡田は、<政権交代がゴールではない。民主党も一定期間政権を担えば、やはりしがらみが生じるのは必定。権力というものが持つ宿命だ。民主党が国民の期待にこたえることができなくなれば、政権を失っても当然だ>(「政権交代-この国を変える」08年、講談社刊)と書いた。いまがその時、と考えているなら話は別だが。(敬称略)
杜父魚文庫

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