8229 日本文化は女性文化により成立している 加瀬英明

このあいだ、難病と闘っている教授を励ます会に出席した。女優の竹下景子さんが車椅子に座った主客に贈物を渡し、長山藍子さんが花束を教授の膝のうえに置いた。
 
40人ほどの会席者だった。そのなかで中、老年のご婦人が10人だったが、洋装の着こなしがよかったので、しばらくのあいだ見とれた。
 
その時に、私はどのドレスにもポケットが一つもないのに気付いて、不便ではないか、訝った。私は自分のポケットがいくつあるか、数えてみた。
上着が表側に3つ、両脇のポケットのなかに小銭でもしまう小さなポケットが1つづつ、裏地の両側に内ポケットがあり、左側の下にまた小さなポケットがある。
 
ズボンに4つ、右のポケットのなかに小さなポケットがある。全部で、13もあった。男はどこに何を入れているか、分かっている。男は女性よりも整理能力が、高いのだ。
女性はすべてバッグのなかに、仕舞っている。バッグは、何でも呑み込んでしまう。だから必要な物を、すぐに取り出すことができない。可憐な指で、かきまわす。
 
世界の東西を問わずに、両性は天性によって違うのだ。
男は自分の子をできる子と、できない子を峻別して、競わせる。母親は出来不出来によって、子を差別することなく、平等に愛する。女はやさしく包んで、守る。
 
世界の文化は男性文化と、女性文化に大別することができる。
■男性型文化地域
西洋、中東、中国、朝鮮文化は、男性型だ。対立しては、殺戮に明け暮れ、残酷だ。百科事典で、宦官の項目をひいてほしい。西洋ではキリスト教会にも、明治11(1878)年まで宦官がいた。
 
フランス革命は、5万人を虐殺した。ヒトラーのユダヤ人大虐殺は、キリスト教にもとづくユダヤ人増悪によるものだった。毛沢東は人民文化大革命だけをとっても、1,000万人以上の人命を奪った。
■日本は女性文化
 
それに対して、日本はやさしい女性文化だ。日本には奴隷がいなかった。大量虐殺が行われたこともなかった。血を穢れとして恐れた。
 
日本国憲法第18条は、[奴隷的拘束及び苦役からの自由」とうたっている。英語の原文を忠実に訳さねばならなかった事情があったといっても、日本国憲法が公布された84年前まで、奴隷がいたアメリカによって、押しつけられたことが明白である。
 
日本文化は、女性が優っている。家庭においても、女が力を持っている。日本の夫は給料を持ち帰ると、全額を忠実な猟犬のように妻に渡してから、小遣いをせびる。西洋、中国、朝鮮半島では、考えられないことだ。
 
外国人から見ると、日本では夫が妻に対して我儘だ。だが、強い者と弱者では、どちらが我儘に振る舞うものだろうか。
 
強い者は耐える。弱い者が我儘になる。アメリカでは男が強いから、女が我儘だ。日本の男は弱いから母親に対するように、妻に甘えて、駄々をこねる。
■母国と父国のちがい
 
日本では祖国を、母国と呼ぶ。父国という言葉がない。英語、ドイツ語では母国ともいうものの、父国――ファーザーランド、ファーターラントという。フランス語は父国――ラ・パトリ(la patrie)しかなく、母国がない。父の国では、国家が国民に規律を求める。日本は、母性が優るやさしい文化だ。
■全ての原点は和から始まる
 
神話時代から、天つ神と国つ神が睦み合い、その後、神仏が対等に混淆した。キリスト教はヨーロッパに渡ってから宗教として確立したが、在来の多神教を吸収した。イスラム教も同じことを行ったから、日本であれば神道に当たる多神教は、姿を消してしまった。
 
朝鮮半島では、李朝が仏教を国教とした高麗朝を倒すと、儒教をもって置きかえて、仏教を徹底的に弾圧した。仏教は日本統治時代になってから、息を吹きかえした。
日本文化は和を重んじるから、すべてを温かく包み込んでしまう。私は初詣には、家から近い赤坂見附の豊川(とよかわ)稲荷(いなり)にお参りする。
ご祭神はダキニ真天で、出自はインドの大母神であるカーリーに仕える鬼女だ。チベットでもダキニ真天は夜叉(やしゃ)で、人肉を食らう恐ろしい神である。 
日本にくると、みな優しい神になる。鍾馗(しょうき)は中国では道教の怨霊だが、日本にやってくると、優しい中年男になってしまう。
■最高神は女神の天照大御神
 
日本は主要国のなかで、最高神が天照大御神であって、女神である唯一つの国だ。女性を拝むのは、日本列島が平和だったせいだ。
どこの国でも、家族が人をつくる基本となっている。家族は親が子を慈しみ、子が親に気遣って、たがいの体感でいたわりあって成り立ってきた。だが、日本では父親ではなく、母親が柱であってきた。
日本では、なぜ祖国を母国と呼んで、父国という表現がないのだろうか。
日本は母の国なのだ。幕末から明治にかけて日本を築いた男たちは、母親の訓育によって創られた。世界一の母親たちが、日本の国運をひらいたのだった。
■日本の明治維新は日本の存在感を定めた
日本は19世紀後半に、全世界が西洋帝国主義の支配に屈しようとした前に、アジアの民のなかで、ただ一国だけ明治維新を行って、近代化を成し遂げ、白人の列強に伍することによって、万丈(ばんじょう)の気を吐いた。そして先の大戦では、アジア・アフリカを解放することによって、今日の人種平等の世界をつくった。
日本は偉大な国である。この輝かしい日本を創ったのが、母親だった。日本の母たちは、比類なく気高い精神を持っていた。その精神を子に伝えることを、喜びとした。
それなのに、このところ、多くの日本女性が輸入物のブランドの高価なバッグを、見よかし顔に持ち歩くようになってから、日本の女性の心が失われるようになった。日本女性に数万円もするようなバッグは、似合わない。
■父の母への思慕は心の支え
私は少年時代に、夜遅く父親の書斎を覗(のぞ)くと、母――私にとって祖母の遺影を卓上に飾って、その前に端座して、独り沈思している姿を、しばしば見たものだった。父は101歳で身まかったが、晩年になっても、母を思慕してやまなかった。
今でも、この父の姿が瞼(まぶた)に焼きついている。父は私に母について語る時には、姿勢を正した。私は幼い時に母に手をひかれて、靖国神社や、乃木神社を参拝したことをなつかしく思い出す。私には境内と、社(やしろ)が眩しく見えた。
母は日本人として誇りと名誉を重んじることを、私に諭した。母は日本が戦争に敗れて、時代によって大きく翻弄されたなかでも、日本が世界一の国であるという信念を、変えることがなかった。
だが、母は厳しいなかで、やさしかった。私が小遣いをねだると、いつも父に黙って見えないところで、そっと渡してくれた。
■祖国を母国と呼ぶ意義
日本人の半数以上が、短歌をつくるといわれる。これほど詩心がある国民は、他にない。母を想うたびに、江戸時代に流行した川柳(せんりゅう)の一句を思い出す。
川柳は人情のおかしみを歌ったものだが、江戸中期の点者(選者)だった、柄(から)井(い)川柳が語源となっている。まず前句付(まえくづけ)が行われ、一般から付句(つけく)が募られた。
柄井が選者となった『誹(はい)風(ふう)柳(やなぎ)多(だ)留(る)』が出版されると、ベストセラーとなった。前句の「飽かぬことかなく」に、「これ小判たった一晩いてくれろ」という秀逸な付合(つけあい)がある。もう一つ、「母親はもったいないがだましよい」という付句があって、母は昭和になっても、かわらないことを教えられた。
日本の歴史は偉大な母親たちによって、紡がれてきた。私たちはいつまで祖国を母国と呼び続けることが、できるのだろうか。
    
杜父魚文庫

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