えー、実は昨日の毎日新聞夕刊文化面のコラムで、私は名指しで批判されてしまいました。文芸評論家の加藤典洋氏の「疑問だらけの菅降ろし 反対派の『凸』が見えない」という記事でのことです。うーん、まあこういう批判というか受け止め方をする人もいるだろうな、これも一種のステレオタイプ的な反応だなと思ったのですが、この際だから少し感想と意見を述べておきます。
要約すると加藤氏は、アレの人品や政治手法の陋劣さをあげつらうのは「床屋談義」に過ぎず、アレの批判派はアレの主張する脱原発に対する対抗価値(凸)を明示せず、私の書いた産経コラム(6月4日付政論「居座り首相『誠意ゼロ』証明 死して屍拾う者なし」)は「ためにする議論」だという主張のようです。
さらに、批判派はアレに対して「表だって反対すれば、自らの価値イコール凸(原発推進)が明らかになる。すると国民の信を失う。そのため、『人心』、手続き等の問題をもちだし、復旧・電力問題(凹)で国民を脅かし、首相の政治的主張を葬り去ろうとしているのである」と書き、アレにはしごを外され続けた海江田万里経産相のことは「電力共同体の傀儡」と決めつけています。
……まあ、確かにこんな反応もあるだろうな、ホント世の中には陰謀論が好きな人が多いからなと予想はしていたのは先に記した通りなのですが、ただ、実際に他紙にこう書かれてみると、やっぱりげんなりしますね。結局、書かれたものはすべて、読み手の解釈に任せるしかないので、これも仕方がないとは思いますが。私はいつも、コミュニケーション、意思の伝達というもののあまりの不全、難しさに目眩がするのです。
ちょっと反論のまねごとを試みると、私がアレの人間性や政治手法、国民の知る権利をふみにじり、国民を裏切り、自己正当化するスタイルを批判し始めたのは、昨年6月のアレ就任の直後からなのですよね。別にアレが脱原発を言い出したからでも何でもありません。本日も某所で取材していて、昨年の中国漁船衝突事件の際のアレの国益を損なうひどい言動について聞きましたが、アレは徹頭徹尾、首相としてどうか以前に人間失格だと確信しています。
加藤氏が取り上げた私のコラムにしたところで、6月4日付という日付を見てもらえばわかるように、アレが記者会見で脱原発宣言をするずっと前ですし、むしろ記事の趣旨は「辞める辞める詐欺」で内閣不信任決議を受けるのを免れた件に関する批判であります。
で、アレ自身も脱原発を華々しくぶち上げた後、「アレは個人の考えだ」と自分でひっこめ、自分で「原発低減」という表現に統一しようとしたわけです。別に私たちが電力業界の意を受けてそうさせたわけではありませんし、そんな力は、はなからありませんし。第一、アレは国内では原発は危険だと恐怖をあおりつつ、国外には今後も輸出し続けると言っているのです。こんなアレをどう評価し、どうやって持ち上げろというのか。
また、加藤氏は、私やアレを批判したメディアを「原発推進」と決めつけていますが、これもどうでしょうか。少なくとも私は徐々に時間をかけて「原発低減」を進めることには何の異論もありません。また、7月30日付の産経1面にはこうも書いています。
「今回の『原発低減』方針に、自民党をはじめ野党側に異論があろうはずもなく、選挙の争点にはなりえない。特に福島第1原発事故後、再生エネルギーの比重を増やしていくことは国民的コンセンサスともいえ、当たり前のことを言っているにすぎない」
別にアレの政治的主張を葬り去ろうなんてしていません。ただ、アレがあまりにもアレで、思いつきで法令も手続きも無視して周囲だけでなく国民に大迷惑をかけているのは疑いようがないので、そう指摘してきただけです。そして日本の産業も雇用も国防も市民生活も社会の規範意識も崩壊に導きかねないと危機感を覚えていたというのが本当です。
さらに言えば、私がほとんど反面教師としてしか役に立たないアレから一つ学んだことは、「政(まつりごと)を為すは人に在り」(中庸)という時代と地域を越えた真理であり、「天下を治むるは、必ず人情に因る」(韓非子)という政治における政治家の人間性の大切さでした。
アレがあまりにも人品卑しく卑怯で姑息で陰険でいやらしく自分勝手で怒りっぽくて自惚れていてみっともなく無能なため、動くべきことが動かないという現実を毎日、じりじりしながら見せられてきたのですから。現実問題として、アレが居座り続けていたら復旧も復興も進まないという事実を、加藤氏はもっと虚心坦懐に見つめたらどうだろうかと思います。
確かに、政治は政治家の人柄よりも政策を中心に行うのが望ましいでしょう。でも、忘れてはならないのは、政治家も一人の人間であり、政党も国会もそうした一人ひとりの人間の集まりであるということです。人間の集団に対して、トップが人外でもアレでも別に関係ないだろ、という方に無理があると思うのです。私もアレが現在の地位に就くまでは、読者にも指摘・要請されるし、もっと政策重視の紙面を考えた方がいいと感じていましたが、アレという規格外、想定外の存在に向き合うと、そんな場合ではないと思い直しました。
ついでだから蛇足を述べておくと、私は東京電力に一人も友人も知人もいません。ですから当然、金銭を含む何らかの便宜供与を受けたこともありません。弊紙に以前、他紙同様に東電の広告が出ていたのは覚えていますが、かといって多額の賠償責任を抱えて青息吐息の東電が今後、弊紙にどしどし広告を出すようなことがあるとも思えません。もちろん、記事を書く上で東電をかばえだとか、東電を悪く書くなだとか上司に言われたことも一切ありません。
私は延べ8年間以上、官邸で勤務していますが、しばらく前に盛んに喧伝された官房機密費のおこぼれにあずかったことも1度もありません。自分がないだけでなく、他紙も含めて周りがそんなものをもらったなどという話、噂も聞いたことがありません。もちろん、この手の話は「疎い」私が知らないだけかもしれませんから全否定はできませんが、私は一時期の週刊誌報道などは眉につばをつけて見ていました。
よく、弊紙なり私なりの記事が批判される際に、何らかの利権と結びつける論調を見るのですが、これも違う気がします。もっと素直に、こんなレベルの記事しか書けないとは能力が低いのだな、あるいは根本的にズレているのだなと理解してもらった方が、まだ合っている気がします。余り政治的意図や利権などの背景を勘ぐるより、馬鹿な奴だなあ、こんなことも知らないのかと笑ってもらった方が、実態に即しているのではないかと愚考する次第です。
なんかまだまだ書き足りないところですが、時間がないのでここまでとします。愚痴っぽくなってしまいました。失礼しました。
杜父魚文庫
コメント
人名をアレに置き換えているが、どの様な人物であろうと、公共の場で人を物呼ばわりするのは不快だ。
それと、
他紙から批判を受けているなら、阿比留瑠比はプロとして認められているのだろう。プロなら、中身のある文章を書け。