お盆で娘二人が実家に戻ってきた。台所に二人の娘が入ると、間もなく80歳になろうかという老妻には手を出す余地がない。自分でボケが進んでモノ忘ればかりしていると認める老妻だが、やはり料理にも手抜きが出るようになった。
炊きあがった飯が硬くて食べられない。新米を使っていないので、古米の場合には水加減を多くしなければならないのだが、それをスッカリ忘れている。それを言うと「炊飯器の指示通りやっているのに・・・」と素直に認めない。それどころか「ご飯に水を足して電子レンジでチンすれば・・・」と開き直る。
タカが食べ物のことで怒るわけにもいかないので、娘二人が里帰りした時にさりげなく訴えるのだが相手にして貰えない。女三人に同盟を組まれると男なんて一人では太刀打ちできない。女性の方が男性よりも長生きする筈である。
14日は親しかった友が亡くなって北上市の古刹・染黒寺で葬儀が行われた。駆けつけなければならないのだが、骨髄腫の身体では無理をするわけにはいかない。人が集まる葬儀には感染症に罹りやすい身体になっているので、義理を欠くように主治医から言われている。
この友の父親と私の父は旧制盛岡中学で親友だった。文学仲間だったという。それが息子の代になっても親しい関係が続いた。私より10歳年下の友だったが腎盂炎を患っていた。私も腎臓病だったから”腎臓の友”でもあった。東大卒業後、郷里に戻って岩手県庁に入り、副知事にまでなった友だったから葬儀は盛大だったろう。
私は友人に恵まれた方だろう。渡辺美智雄氏の従弟だった幸雄氏とは学生時代からの友だったが、亡くなって数年が経つ。従兄の古沢弁護士とは魚河岸の寿司屋で毎週のように飲む友だったが、ガンであっけなく亡くなった。副知事氏にも先立たれて身の回りが寂しくなったという思いが、今夏はとくに深くしている。
杜父魚文庫
8264 父親同士も親しかった友の死 古沢襄

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