今朝の産経朝刊に、論説委員の皿木喜久さんが「『戦争美化』という風評」という一文を書いていた。
学生時代、京都左京区の大文字山麓の学生寮に住んでいた。そこの先輩が文学部の皿木善久さんだった。ふとした切っ掛けで、皿木さんが薩摩隼人のくせに、カエルが気絶するほど嫌いだということが分かったので、大文字山で見つけた大きな蝦蟇ガエルをポケットに入れて寮に持ち帰り、皿木さんの顔に乗せたことがあった。気絶寸前になった。
六十過ぎた皿木さんであるが(実は、僕も六十過ぎだが)、いつも皿木さんの記事を読んで、まず思い出すのは、不思議にもあの顔に乗った蝦蟇ガエルに、絶叫、悲鳴の皿木さんの姿だ。
しかしながら、以下、皿木さんの記事を読んで、蝦蟇の次に思ったことを書きたい。
現在、中学校の歴史と公民の教科書採択において、従来の祖国日本に対する自虐的、否定的な教科書を改善した育鵬社と自由社の教科書に対する不採択運動が起きている。
その言い分は、「日本の侵略や植民地支配の加害を直視しない」などと言ったもので、「戦争美化」「戦争賛美」と両社の教科書を非難しているという。
この批判を皿木さんは、両社の教科書を読めば、まるで見当違いの批判であることがわかる、と断定して、この批判を科学的根拠のない放射性物質の恐怖が一人歩きした「風評被害」とよく似ているという。
その誤った「風評」が国をも誤らせた例として、皿木さんは、昭和五十七年の歴史教科書の検定で、「侵略」を「進出」と書き換えたというマスコミの誤報を挙げる。この誤報が「風評」となり中国や韓国の抗議に対して宮沢官房長官が「教科書の検定は近隣諸国に配慮する」という今に禍根を残す談話を発表したのだ。
この誤報を真っ先に指摘した渡辺昇一氏が月刊誌「諸君」に「萬犬虚に吠えた教科書問題」という論文を書いた。以下、皿木さんの結びである。
「『萬犬・・・』は言うまでもなく『一犬虚に吠ゆれば萬犬実を伝う』という諺のもじりである。一人がウソをつけば聞いた者が皆、それを真実として広げるといった意味だ。
歴史教科書問題にしても放射性物質の問題にしても、人間の愚かしさの典型である風評被害をこれほど的確に言い表した諺は、ほかに見当たらない。」
まことに、的確で良い論文だ。
そこで、「人間の愚かさの典型としての風評」が行き交い乱れ飛ぶ「選挙」を生きている人間としては、皿木さんの「歴史教科書問題と放射性物質の問題」に加え、
今の禍根の出発点となった二年前の夏の民主党のペテン師どもによる「生活第一、政権交代の総選挙」も「萬犬虚に吠えた選挙」だったと指摘しておきたい。
ところで、「戦争美化」「戦争賛美」は、我が国の歴史を評価し擁護する者を非難する時に使う言葉である。皿木さんもその前提で今朝の論文を書いている。
しかし私は、誤解され「風評被害」を受けても承知で書いておく。古来英雄は、戦場で生まれてきた。戦場においては、人間の命をかけた勇気と献身が顕れるからである。従って、戦争という極限の中において、人間の美しい行為がある。
政治家が悲運に斃れたときに発せられた次に言葉が、私には印象に残る。まず、伊藤博文がハルビンで何者かに射殺された時、幕末からの伊藤の同志であった井上馨は、彼は維新の志士のように死ねたと泣いた。井上にすれば、畳の上で死ぬ自分と伊藤の生涯を比べたのであろう。伊藤の方が死に場所を得たと。
また、アメリカ大統領のジョン・F・ケネディーがテキサス州ダラスで暗殺されたとき、一人のアメリカの政治家が、「彼は兵士のように死んだ」と讃えたのである。
戦争を美化するとか、戦争を賛美するとかの、左翼の安易な言葉(つまり宣伝)に流されるのではなく、現実に起こった戦争の中で生きた同胞(私たちのはらから)の、祖国への愛と献身と勇気に敬意を表して讃えることができない者に、よりよい人生は拓けない。
従って我々は、これから人生を拓く子供達に対する責務として、祖国と同胞の運命と命のかかった戦場に生きた賞賛すべき先祖のことを敬意を以て教えねばならない。
次の、元アメリカ海兵隊員で上院議員のチャールズ・ロブ氏が、海兵隊発足記念日においてワシントンの硫黄島記念碑前で行った演説は、戦争賛美でも美化でもなく、敵ながら真っ当であり、我が日本も、戦った兵士に対して同じように敬意を以て讃えねばならないと思うが如何か。
ロブ氏は言った。「硫黄島のあの激戦の名を口にしただけで、アメリカ国民の胸は深い感動と愛国心ゆえの興奮に満たされるのであります。
海兵隊の勇敢極まる献身的戦闘によって、硫黄島の滑走路が占拠され、その結果、戦争が終わるまでに、故障した二千五百機以上の『空の要塞』(B29)が破壊を免れ、二万六千名以上の陸軍航空部隊の搭乗員の命が救われたことになったのであります。」
この硫黄島の戦闘を、日米何れ劣らぬ勇敢なる戦闘だとするならば、我が日本からみれば、次の如くなる。
「『空の要塞』(B29)による東京空襲を、一日でも阻止するために孤軍奮闘し矢弾尽き果てるまで死力を尽くして玉砕した硫黄島の日本軍兵士の敢闘を口にしただけで、日本国民の胸は、深い感動と愛国心故の興奮に満たされるのであります。
彼ら有志の御陰で、多くの東京都民は疎開して難を逃れる時間を戴きました。ありがとうございます。」このことを、中学生に教えて当然ではないか。
アメリカの首都ワシントンにあるアーリントン墓地に「優れてアメリカを象徴する」と言われる「無名戦士の墓」があり、両大戦から朝鮮戦争そしてベトナム戦争までの戦死者が埋葬されている。
この墓を護るのは、伝統あるアメリカ陸軍第三歩兵連隊のより抜きの兵士である。この衛兵に選ばれるのはすばらしい名誉である。彼らは、厳しい訓練の末に衛兵となり、ライフルを担って墓の前を二十一歩歩き、二十一秒静止し、再び二十一歩歩いて元のところに戻る。これを一日二十四時間繰り返している。
歩く歩数も二十一歩、静止の時間も二十一秒なのは、軍人に与えられる最高の名誉である二十一発の礼砲の数に対応したものである。
仮に、彼らが靖国神社を二十四時間警護していたとする。その時、昨年のように外国人がマイクで英霊を非難しながら靖国神社の拝殿に侵入するという事態が起これば、彼らは、何らの躊躇なく乱入者を射殺するであろう。
国家にとって、戦死者とは、これほどの侵すべからざる威厳と敬意を以て接する人たちである。これは、戦争賛美でも美化でもない。当然のことである。
イギリス国防委員会は、観戦武官のハミルトン中将の報告により「公刊日露戦争史」を編纂した。その中で、「旅順の戦いは英雄的な献身と卓越した勇気の事例として末永く語り伝えられるであろう」と書かれている。
また、そのハミルトン中将は大将となって退官し、エディンバラ大学の名誉総長となり、日本から学ぶべきものとして兵士の忠誠心を挙げ、イギリスの教育の指針とした。
彼は次のように言った。「子供達に軍人の理想を教え込まねばならない。自分たちの先祖の愛国的精神に尊敬と賞賛の念を深く印象付けるように、・・・教育のあらゆる感化力を動員し、次の世代の少年少女達に働きかけるべきである」
我が日本は、今こそ、イギリスにつとに指摘されるまでもなく、子供達に、自分たちの先祖の「英雄的献身と卓越した勇気の事例」を「教育のあらゆる感化力を動員して」教え込まねばならないのである。
次に、同じ日露戦争の世界最大の会戦であった奉天戦直後の日本兵戦死者一万六千の死体が累々と横たっわる新戦場を巡察した総司令部付き川上素一大尉が、同じく巡察に向かう第二軍の石光真清少佐に語った感想を記しておきたい。
これらの兵士に敬意を表し讃え感謝することを子供達に教えない国に未来はない。このことを「戦争賛美」「戦争美化」というレッテルを付けて非難する集団・組織は、民主党を支えているが、実はこの勢力は、日本消滅を目指す敵であり日本人ではないのである。
川上大尉は、石光少佐に言った。「このような戦闘は、命令や督戦でできるものではありません。兵士一人一人が、『勝たなければ日本は滅びる』とはっきり知っていて、命令されなくとも、自分から死地に赴いています。勝利は、天佑でも、陛下の御稜威でもなく、兵士一人一人の力によるものです。」
今こそ、我が日本の近現代史における戦場の兵士の勇気と献身を讃えよう。そして、教育のあらゆる機会に、それを次代を担う少年少女に教えていこう。
杜父魚文庫
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